アニばら語り 原作とアニメの違い

ベルばら原作とアニメの最大の違い。それは作られた時代背景の差だと思っています。

原作72〜73年
アニメ79〜80年
たかだか6年ですが、この差は大きい。

そしてオスカルの最期の描写。
原作「フランス万歳」
アニメ「アデュー」
この温度差。それは当時の若年青年層の熱気の差でもあります。

原作連載当時の若者達の熱気と狂乱は令和の今想像しにくいですが、凄まじかったようです。才能ある若いクリエイターとして、原作者は時代の空気を敏感に感じたでしょうし。オセローをコミカライズするなど歴史に興味があるなら、合体せたのは必然とも言えます。そして作品は革命を美しく描いていました。

ただし実際の学生運動は当然美しいものではなく、凄惨な闘争で大勢の若い人が亡くなりました。それは連載時、72年のあさま山荘事件等で明らかになっています。それでもオスカルは「フランス万歳」で死ぬ。当時の原作者が何故この最期にしたのか。理想に身を投じたことが美しいとしたのか、まだ革命の理想は生きていると感じていたのか。解釈はできますが、わかりません。

その6年後のアニメ。原作者と後半監督は4歳違いの同年代。当然連載当時の時代感も知っています。しかしこの間の空気はおよそ違っていました。学生闘争の凄惨さが明らかになり、次世代は政治や社会に冷淡に無関心になります。理想は泥に塗れました。
監督も既に青年ではありません。その時代その年齢で、数年前の狂乱を見返した時。強烈な敗北感があったのではと思います。なぜ理想が暴力に塗れ自壊していったのか。時代を生きた者として、苦い思いはあったでしょう。

だから革命の美しさを讃えた話はそのまま描けない、戦った者達は果実を取れない。だから「さようなら」
アニばらのキャラ達は皆、果実を取れなかった人達です。アニメのオスカルは自分が果実を取れないことをおそらく知っていましたし、アンドレも同じだと思います。義憤や利他や、まして理想ではなく。その時代に眼を開けて生まれた者として、己が道を選んだオスカル。そしてそのように逃げずに生きる彼女だからこそ、アンドレはそばに居続けました。

ここで再確認しておきたいんですが。「原作もアニメも、歴史を背景にした骨太なドラマである」ということです。恋愛は重要素ではありますが、副次的です。
両作品とも普遍的なテーマと時代性を見事に融合させています。原作もアニメも恋愛漫画ではなく歴史ドラマとして捉えなければ、キャラクターの背景、表現されている時代性、作り手のスタンスその他、見落とすものが多いと思いますし、それは作品にとって非常に残念なことです。