優しい男

「あの子、泣いてたわ」
「・・悪いことしたよ」
「私の前で思ってもないこと言わないで」
「ひどいな」
「誰にでも優しくて万事そつない男を装ってるなら、もっと上手くやりなさい」
「装ってなんかいないさ」
「まあ、それがあなたよね。ご主人以外はどうでもいいから、優しくできる」
「君には俺がどう見えてるんだ?」
「・・私は奥様付きの侍女だけど、それでも知ってる。オスカル様は宮廷に伺候したときから複雑な立場にいて、その分あなたが被るものも大きい。貴族は仕種や言葉で人を刺すからね」
「・・刺されるのはオスカルのほうが多い」
「だからあなたはオスカル様に判らないように、火の粉を払う。その為の仮面でしょ」
「それが俺の仕事だから」
「仕事ね・・ねえ、奥様は今でも末娘を女性の人生に戻したいと思っているわ」
「え・・・」
「私はお仕えするのは此処で三つ目だけど、奥様が一番好きよ。敬虔で信心深く、侍女や目下の者にも隔てなく優しい。だからこそ、男装して神の意に背いていると言われる娘のことを心配している」
「それは・・知ってる」
「旦那様さえ翻意されたら、奥様は止めはしない。喜んでオスカル様の結婚のお支度をされるでしょうね」
「・・やめろっ」

「あら、恐い顔。あなたも偶にはそうやって感情を外に出しなさいな」
「からかってるのか」
「女を泣かせている自覚のない男へ、ちょっとした罰。若い侍女には麻疹みたいなものでしょうけど、誰にも優しいのは酷だわ」
「気を付けるよ」
「あなたなら上手くやれるわ。宮廷の針山にいても、主人を守れるほどなんだから」
「だから、それが仕事だ」
「・・・仕事だという枷を外さないで。私から最後の忠告」
「最後って?」
「私は仕事を辞めるの、国を出るわ」
「どうして、そんな」
「海を渡って新しい土地に行く。人に仕えて屋敷の隅にいるのはもうお終い。自分の人生を開くの」
「君なら何処ででも強く生きられるだろう、頑張って」
「・・・アンドレ、あなたも行く?」
「外国へ?」
「枷に縛られないところで生きる、戻れないほどの遠くで」
「それは・・・」
「考えたことは・・・無い?」

 

 

「・・・俺は此処にいる。ずっと、オスカルの傍で生きるよ」
「そう・・そうね。じゃあ、さよなら。夜明け前に出発するから」
「さよなら。そして、ありがとう。元気で」
「私もよ、アンドレ――ありがとう」

 

 

遠くへ、海の向こうへ、誰にも縛られずただ己の人生を自由に生きる。そんな選択もできたかもしれない。でも彼女がいる限り、此処にいる。枷がどれほど重く、心を挫けさせたとしても。もし傍にいることが許されない時が来れば・・その時、その時には。

 

END