背後の足音にアンドレが振り返ると、果たして神父の姿があった。
「あなたもですか・・」
「ええ。神父様も」
「子どもたちはもう用意して待っています。しかし私は最後に・・どうしても」
神父も光瞬く天井を見上げた。十字架は無事で、その像の目にあたる光は涙のようにも見える。
「どうぞ。俺は先に戻って子どもたちを見ていましょう」
「いや、あなたこそ」
「俺はもう・・別れは告げました」
アンドレが出ていく時、神父は跪いて祈っていた。その肩が震えている。
――――俺も、祈ることはできる。祈るだけしか・・・できない。
フランソワはアパルトマンから出ると、空を見上げた。建てこんだ建物の合間から見える夏空は高く、雲も見えない。ノルマンディーの空はずっと広くて、どこまでも遠いのだとアンドレから聞かされていた。
――――故郷を離れるのは辛くても、その先にきっと新しい何かがあるから。
そう話すアンドレの言葉は力強かった。アンドレも小さい頃故郷を離れたことも教えてくれた。もうすぐ馬車がくる、アンドレと神父様を迎えにいかなくちゃ。そう思い走る少年の前を馬に乗った人物が通り過ぎる。
「天使様?」
かつて自分を助けてくれた人の面影を、忘れたことはない。馬上の人と同じ、光に揺れて綺麗な金髪。
「待って!」
少年は走った。だが馬の足に追いつけるものではなく、見失ってしまった。
「天使様、どこへ・・行ったの?」
そう広くない広場の一角に、その教会はあった。正面の扉は打ち壊され、残骸が放置されている。オスカルは馬を降り、ゆっくりと近づいた。明るい外から入ると、一瞬薄暗く感じる。椅子も倒され壊され、足元には板とガラス片が散らばっていた。細く差し込む光の奥に、十字架の像と、一人の男が跪いているのが見えた。一歩踏み出すと、かちゃりとガラス片が音を立てる。その音に男が気づいて立ち上がった。
「・・あなたは?」
振り返った僧服の男が、不思議そうにオスカルを見ていた。
「私・・・私は」
目を伏せたオスカルは、打ち壊されていない扉を見てとった。祈りの場が壊されていても、十字架とその扉はなぜか無事だった。
「告解を・・」
「では、どうぞ」
小さなその場所は一層暗く、木の椅子は硬い。
「私は・・・罪を犯しました」
破壊された教会の中で、ここが無事だったこと。そこに神父がいたこと、そして・・なにより。
「私の罪は、ある男性を苦しめたことです。幼い時からずっと、傍にいてくれた。お互い以上に信頼する者はいなかった。私が他の男性を愛した時も、何も求めず、静かに・・それなのに、彼が助けを求めている時に、追いつめ傷つけた。自分が負った傷を彼に移し、何度も打擲した・・そして・・そして・・・私は」
オスカルは組んだ手を一層硬く握りしめた。手のひらに爪が食い込んで血が滲む。
「子どもを、彼の子を・・死なせ・・ました。私の中で、死んでしまった」
「私は許されるべきではありません。信頼を裏切り、愛するものを傷つけ、ただ愛されていることのみを甘受していた。私はあまりにも・・傲慢でした。愛される以上に愛さなければならなかったのに。受け取る以上に与えなければ。彼が見返りを求めず与えてくれたものを、私は己の傲慢ゆえに失った!!」
「神もお許しにならないでしょう。でも私は・・・私・・は」
格子窓の裏側で神父は驚愕していた。この女性は、もしかしたら。
「彼に・・伝えなくてはなりません。私が傷つけたことを、失わせたものを。そうして、彼に・・ひとこと・・だけ」
「何と?」
これは赦しの秘蹟ではないかもしれない、神父は思った。だが今、眼前の苦しむ女性には神の赦し以上のものが必要なのだ。
「すまない・・と」
「それだけで、良いのですか」
「・・・」
「その人を、愛しているのでしょう」
「それは・・」
「貴方がその人を愛しているとしたら、どれほど傷ついても愛することをやめられないとしたら、それが神の御心に沿うものだからです。ただ甘受するのではなく貪るのでもなく、与え、受け入れ、許す愛なら、貴方がその人を支えられるのなら。そこに神の御心があり祝福がある」
「私に・・祝福など」
「あなたと、その人が出会ったことこそが祝福なのです。出会い、愛するその心にこそ神はおられる」
「・・・・」
「あなたを愛する人は皆、あなたの幸福を願っているはずです。神があなたを赦されることを。ともに祈りましょう。主よ、わたしに・・」
「・・わたしに平和を運ばせたまえ、憎しみあるところに愛を、傷のあるところに赦しを
絶望あるところに希望を
闇あるところに光を
慰められるより慰めることを
愛されることより愛することを
与えることで人は受け取り 許すことで許される
「・・・オスカル」
—————死ぬことで 永遠の命の元に われらは生まれる