そうか もう君はいないのか(再掲)

そうか もう君はいないのか

 

 

さっきまで聞こえていた民衆の怒号が聞こえなくなった。身体の痛みもなぜか遠くなっていく。石畳に投げ出された左手が、汚水溝に浸かっていて冷たい。その冷たさだけがわかる。

目を開けているはず、でも血で塞がれてほとんど見えない。そうか、私は死ぬのだ。路傍で、民衆の憎悪によって、謗られ、踏みつけられ、打たれる。この日に。

この日、この日。私の全ての過ちだった、あの日。これが天の采配なら、私がいくのは地獄だ。彼の方の元ではない。二度と・・死しても、会えない。愛しい人、懐かしい友、あなた達はもう地上にいない、遠い天上にいる。視界が暗くなっていく。意識が遠ざかる。せめて、心の中で名前を呼ばせてほしい。アントワネット・・様、私の愛・・・・・私の・・・全て。あなた・・こ・・・

 

 

 

そうか お前はもういないのか

 

どうしてだろう、この日が来るのを知っていた気がする。初めて会ったあの日。大きな黒い目が私を見上げていた。あの小さな子ども。一陣の風が吹いて、黒い癖毛がふわりと揺れた。あの時、見つけた!と思った。どうしてそう考えたのか。思い出せない。

でもいつも、見つけられるのは私だった。庭で、薔薇の茂みの影で、気持ちよく隠れていても必ず彼が見つける。ほら、もう起きて。微笑んで差し伸べられる手を取ると、昼寝を邪魔されたこともどうでもよくなった。

そうだ、起きておくれ。もう朝が来る、目覚めて私と一緒に行こう。新しい世界を見よう、私とお前を長い間隔てた、お前をずっと苦しめていた、壁がなくなるんだ。その世界は血塗られているかもしれないが、新しい。ほら、朝だよ。一日が・・始まる。

 

 

もう あなたはいないのね

 

あなたはいない。私はひとり。夜は不思議なほど静かだわ。ペンを走らせる、微かな音しかしない。高く壁に穿たれた穴から、月光が差し込んでいるので明るい。そう昔、彼女とトリアノンの庭で、ふたり月を見上げていた。なにを話していたかしら。その時の彼女の横顔が、月の女神のようだった。孤高に輝き、触れることのできない月光の化身。

そして、愛しい人。腕に抱かれるのはいつも夜。できれば月のない夜。月明かりはあまりに清浄で罪を暴くから、私は月光を恐れた。月が明るければ明るいだけ、私の罪は暗くなる。でも、それもおしまい。私の死で全て消えるのでしょう。今は、月を見上げても苦しさはない。私のそばにはもう誰もいないけれど、月がそばにいてくれる。神も。

 

 

 

もう あなた達はいない

 

生きて、出会って、愛し苦しみもがき、石畳にその血を流して死んだ。風が、薔薇が、月光が、あなた達を忘れず、夜毎その愛を語るけれど。もう、あなたはいないのだ。

 

 

それはとても  寂しい世界