アニばら語り オスカルの公と私

忘れられがちですが、オスカルは軍人(公)です。軍という強力な暴力装置を律するため、国を守るという(義)があります。オスカルにとって、まずは公と義があり、次が私(わたくし)

義とは国=王家を守ること、オスカルはそう教わり信じてきました。しかしやがて国=王ではないと気づく。国とはそこに生き根ざし種蒔く人達であると。オスカルは目を開けて生まれた人ですから、視野は広く考えは深い。特権階級で生まれ育ちながらも、次第にどこかおかしいと気づき始めたでしょう。
大きな転機はアンドレの片目が失われた時。オスカルは責任を感じて、アンドレの眼を、半分失われたアンドレの視界を考えた。アンドレの眼で見た世界を。それは彼女自身が見ていたのとは違う世界。持てる者と持たざる者の視点の違いです。
そうやってアンドレの眼、アランや衛兵隊士の眼で世界を見る。王や貴族が全てではなく、国とはそこに生きるすべての命あるものだと気づいた。気づいてオスカルは公と義を捨てられなくなります。それに対して私(わたくし)が相反もします。

ある時期まで公・義と私は反しませんでしたが、フェルゼンを愛したことで揺らぎます。国を守る義に反する私。オスカルは苦しんだ末、私を捨てます。(アンドレは私を捨てて生きるのはオスカルではないと止めますが)そしてその後、もう一度相反することになります。アンドレです。

 

→次へ