アニばら語り オスカルが核であること

3)それでもオスカルが核であってもよかった

オスカルの核はアンドレ。しかし私はオスカル自身が核であっても良かったんじゃないかと思っています。

アンドレは貴族の元にいながら民衆側(被支配)でしたが、真の越境者はオスカルです。男女のどちらにも属しながら属さず、つねに境界にいます。支配階級に生まれながら、民衆側につきます。
このような思想運動において、外部の視点は内部崩壊を防ぐためにも必須です。自説のみに拘泥した運動はほぼ瓦解しますから、精神的核においても、越境者で双方の視点を持つオスカルを置くべきだったんじゃないかと思います。
監督はそのように考えなかったのか、1クール削られて単純に尺が足らなかったのか(ジャイアンツ戦滅せよw)わかりませんが。

いずれにせよ、フランス革命(普遍性)と全共闘(時代性)を融合した作品であり、歴史群像ドラマであったことは間違いありません。

 

以上、大変長くなりましたが、私のアニばら考察でした。お読みいただきありがとうございました。

 

←前へ