季節の始まり

 

晩夏の雨は、季節の終わりの始まり

「オスカル」
ノックをしても返事がない。そっと扉を開けると、長椅子に横たわっている彼女が見えた・
「まったく、ワインを頼んだのはお前だろう」
ため息をついて、卓の上にワインを置く。夏の終わりの暑さは和らいでいたが、まだ部屋には熱気がこもっていた。
さて、どうしたものか。起こしたほうがいいだろうか、もう夜半だ。このまま朝まで眠ってしまうかも。考えあぐねて、長椅子の前で立ち尽くす。金髪が頬にかかって、口元はうっすら微笑むようにほころんでいる。微かな寝息、いつもの透徹した青い瞳は瞼で隠されている。

昔、幼いころ。遠乗りで行った先で、走り回っては草の上に寝転んだ。丘の上の風が心地よく、遠く青い空を見上げていると、いつの間にか眠ってしまっていた。俺が先に起きる時も、彼女が先に目覚める時もあった。

いつも俺が眠っていると、くすぐられたり、鼻をつまれたりして起こされた。額に小川の水をかけられたこともある。冷たくて飛び起きると、あんまりぐっすり眠っているからと、彼女の方が怒っていた。
俺は先に目覚めると、彼女をなかなか起こせなかった。横を向いて、指を丸めて、時折、ふふと笑いながら眠っている。緑の草の上で、まだ短かった金髪が揺れる。白詰草に蝶々が飛んでくる。頭上で雲雀が鳴いている。
晴れた午後に、草の上で眠っている、天使のようなーそう見えるー女の子を、夢から起こしてしまうなんてできなかった。でも自分で目覚めると、何故もっと早く起こさなかったんだってまた怒る。お前と遊ぶ時間が短くなってしまうだろ、そう言って。

子どもの頃は、あの時が永遠に続くような気がしていた。どこまでも続く晴れた午後。憂いも辛さもない、子どもだけの時間。もう決して帰らない、あの午後。

窓に水滴が当たる音がする。思う間もなく音は強くなり、暗いガラス窓が風と雨に揺れている。俺は動かずに雨音を聞いていた、彼女の眠る顔を見つめたまま。金色の天使のような子ども、大切な・・とても大切な。俺はあの頃と同じように、眠る顔に吸い寄せられるように近づいた。茱萸の実のように光る赤い唇・・・・。

息を止めた、瞬間、ためらった。そのまま、そっと。触れるような微かなキスをする。まだ目覚めないでいてほしい、そう願いながら触れた、あの頃と同じように。

ざぁ、と木の枝が窓を叩く音がした。彼女の青い眼が俺を見ていた。

「・・あっ」
思わず声が出たまま動けない。まだ体温が伝わるほど近づいていた。気づかれないと思っていたけれど、本当は目覚めていたんだろう。きっと、飛び起きて怒る。あの頃のように。
「ふふっ」
青い瞳がいたずらっぽく微笑んでいる。呆然としている俺に、彼女が手を伸ばして、キスをした、軽く。
「誕生日、おめでとう。アンドレ」
暖炉の上の時計が十二時の鐘を打つ。

「今年のプレゼントは、これでいいかな」
「・・・充分だよ」

外の雨が弱くなったようだ。昼の熱を洗い流し、新しい一日を秋へと繋げていく。夏の終わりの、季節の始まり。

 

END