仮面

 

その子どもは仮面をつけている

その子は生まれた時、母の胎内からいでてから暫く、眼を開けなかった。幾晩もうつらうつらと眠るように、見事な金色の睫毛を揺らしていた。この子は目覚めないのでは、この子は生まれて死んでいるのでは。母が嘆き、乳母がうろたえても、子どもは眼を閉じていた。
そしてある夜、望月が煌々と輝く晩夏の夜。風もなく音もなく、梟や獣さえ声をたてなかった夜に、子どもは眼を開けた。月の光が青くなった。

成長した子どもは歩く、走る。輝く真珠の肌、柘榴の唇、そして青い瞳が、周囲全てを青く染めている。子が瞬きする瞬間だけ世界は元の色になり、目が開かれると青くなる。子どもが七歳になった時、父から仮面を渡される。
お前はこれからこの仮面を付けるのだ。眠る時以外決して外してはならない。子どもは不思議そうな顔で父を見上げる。父の涙も、青い。それから少年がやってきた。白銀の仮面をつけた少女と共に成長する。

――どうして仮面をつけているの
少年が問う。
――誰も君の瞳を見ないの?僕は見てみたい、きっととても綺麗なんだろう。ねえ、見せてよ。
少女は仮面を外す。でも世界は青くならない。少女は驚く。
―――お前の眼の中に私が映ってる。深い黒い瞳が、青い光を全部吸い込んでいるんだな。私は私が誰かの瞳に映っているのを、初めて見た。
それから他に誰もいない庭の隅、遠乗りした丘の上。ふたりだけでいる時は、少女は仮面を外す。仮面を外した彼女を知っているのは、彼だけ。彼の黒い瞳は変わらず深く、時々眼の奥がちくりと痛んだ。

王国を守るため馬上にいる時、王妃の友人として離宮で語らう時。金色の髪と白銀の仮面は見る者を魅了した。隠された青い瞳に見つめられたいと願う者は多かった。全てを捧げるからと求婚する者もいたが、彼女は仮面を外さない。世界を青く染めるからではなく、彼の黒い瞳にだけ映ればそれでいいと思っていた。

彼らは月の夜、寝台の上で見つめあう。彼女の瞳から溢れでる青い光。愛しあうと輝きは増した。さらさらと肌にあたる金の髪を指に絡めながら、彼は口づけとともに光を吸い込んだ。愛の光はさらに溢れ、それを全て彼がのみこんだ時。黒い左眼が閉ざされてしまった。
――私が!私の光がお前の眼を潰してしまったんだ。お前の黒い瞳が、どこまでも私の光を吸い込んでいたから。
驚き嘆いて仮面をつけようとする彼女の手を、彼が止めた。
――お前の光を受けとめ、為に細胞がばらばらになるとしても、お前の瞳を見つめていたい。その青い光なくしては生きられない。だから、そのままでいてくれ。
彼らは抱きあい、寄り添って眠る。閉じた彼女の瞼から流れる涙は青く、彼はそれを指で掬い、口に含んだ。身体の中で何かが軋む。

そして国も軋んでいた。離宮は打ち捨てられ王の子は葬られ、王ではなく国を守るため彼らも戦う。土埃と怒号の中、飛びかう銃弾が仮面をかすめた。ちぎれた仮面が地面に落ちた時、遠く敵の兵士にさえ、その眩い光が見えた。銃口が一斉に向けられる。
遮るもののない、その青い瞳が撃たれた彼を見る。見開かれた彼の瞳を見る。その黒い両眼は潰れていた。何も見えてはいなかった。彼の身体が崩れ落ち、割れた石畳の上に横たわる。

そして彼女は理解する、驚愕する。彼女の青い瞳が輝くのは彼の瞳を奪ったからだと。彼の生まれた晩夏に目を開けた、彼だけが彼女の瞳を見つめられた、彼らは彼女の光を青く輝かせるために結びついていた。光を受けとめ続けた細胞のひとつひとつが弾けとぶまで、黒い瞳が焼き切れるまで、彼女を愛した彼をーーー彼女自身が、奪った。二人分の瞳、二人分の命、彼女が奪い彼が失われる。

彼女は叫ぶ、泣く、慟哭する、返せと請う。私の眼を命を捧げるから返して!全て失われる前に戻して!彼を、返せーーー!!!!

 

その時、一瞬。晴れわたる夏空が紺碧の深海の青が、世界を覆う。兵士も砲弾も、王も、鳥も、流れた血さえ、青く青く染まる。彼の傍に横たわる、彼女の骸も。

光は消え、国は滅んだ。血は再び赤くなり大地を染める。崩れ、人が去った宮殿を照らす望月。

 

月の光は、二度と青く染まることはなかった。

 

END