AO連載は二十数年かかっています。そのため途中草稿を書いては推敲する、という形を取りました。その古い草稿引っ張り出してきたら、流れ重視で切り取ったり書き直したりした部分が結構ありました。同じシーン三回書いてたり。書いた本人も忘れてたw
没草稿それなりあるので供養のため、未発表部分を除いた一部、細かい修正等以外を選んで載せました。あえてどこのどこ箇所かは書いていません。適当にご想像いただければ。ドライブで放置されてた草稿、これで成仏してくれナムー。
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「私は女であることが幸福だと思ったことは一度も無い」
「生れ落ちた時から、女であるという、ただそれだけのことで、どれほど背負わなくて良いものを背負ってきたか。それでも努力してきた。自分の進む道はこれしかないと思っていたから。その挙句が・・・女に戻れ、か。戻るだと?今までわたしが女であったことがあるか?父上が私に女であることを望んだことなどあったか?生まれた時から、その瞬間から父上は私を否定してきたのに・・それなのに」
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私はあなた方を・・貴女と彼を羨んでいる。自分を切り刻んで苛むほどの想いは、あまりにも重く辛くて、人はしばしばその恋の前で引き返す。最奥では自分を守る為に。だが、貴方達は違う。二度と戻れない深い場所まで、怯むことなく沈みこんでいく、その熱情は余人には与えられないものだ。自分の中の暗黒に背を向けない者だけが知る、深い海の底。そこには何があるのだろう。
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「・・・・・痛い」
「オスカル」
「背骨が痛い・・ぎりぎりと音を立てて砕けているみたいだ。苦しくて、そこに手を伸ばそうとしても届かない。皮膚が裂けている気がするのに、血を・・・止めることもできない」
彼女は本当にそこにあるはずの傷口を捜すように、身体を丸めて背に手を這わせようとした。
「アンドレ、お前にならわかるだろう。私は男か・・女か、どっちだ。軍服を着ながら子を孕む。これはいったい・・何者なんだ」
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この髪も肌も心臓も・・・・もう二度と再び手が届かない。神の前で誓いを立てて他の男のものになる。こうしている間にもその時は近づいてくる。一分一秒ごとに、砂時計の砂が着実に落ちていくのだ。
蛇が・・・。
蛇が鎌首をもたげて
血のついた牙で笑っている
手に入らない手に入らない手に入らない・・もう二度と
掌を・・喉にあてる。人差し指に脈打つ鼓動が響いている。心臓の音。決して、もう、この手で感じることは無い。親指をまわすと、細い首は片手の中に納まってしまう。それでも両手をかける。脈を打っている血管を圧迫する。指の骨が、ぎしぎしした音をたてて喉に喰いこむ。滑らかな肌、柔らかい筋肉、力強く血を送りつづける血管、それらに守られた喉を鼓動を、止める為に力を込める。
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「何故だ・・何故、どうして・・こんなことに。どこで間違った。生まれた時からか、私が・・女に生まれついたことが根源だった。何もかもそこから始まって、そこから狂っていったんだ。男であるはずだったから、男でありたいと・・そのはずだったのに。何故裂くんだ。今になって女だったと言われて・・・・・・・戻れる訳がない。全て戻すというなら、それならば!生れ落ちたあの場所にこそ還してくれ!!」
「私が男に生まれなかったこと。全ての元凶はそれだ。広い胸、強い腕、何一つ持たずに生まれたことが全ての原因だった。お前にとっても私は常に女だったんだろう。そうでなければ、私ごときにお前が囚われることもなかったんだ」
「・・それは違うよ、オスカル」
その言葉に俯いていたオスカルが顔を上げ、咎めるように隻眼を射抜いた。
「どう違うって言うんだ。他の人生を考えなかったわけじゃないだろう?私が男で、お前とは友人のままで・・お互いに普通に伴侶を持っていたかもしれない。そんなことを考えなかったとでも」
「男だとか女だとか、そういうことじゃないんだ。気がついたら“それ”がそこにあって、気づいた途端、俺はそれに飲み込まれた―――それが何時だったのかはわからない。それからずっと、お前を愛してる。何故だか判らないけれど、愛というものに取りこまれたまま抜け出られない。どんなに苦しくても息が詰まっても心臓が裂ける気がしても。お前が女だから愛したわけじゃない。たとえ男でも、今のお前の姿じゃなくても・・きっと、お前だというだけで愛していたよ」
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出会ったとき、階段の上から降りてくる子どもが、故郷の聖堂で見た天使に思えた。光を浴びて祝福の中に生まれた子ども。ずっとそう思っていた。だが少しづつ、彼女の抱えているものの途方も無い重さが見えてきた。細い肩に父将軍の期待と危惧を乗せ、周囲の羨望や嫉妬、嘲笑と対峙している。彼は少しでもその荷を取り除いてやりたかった。自分の僅かな力で、出来る事は何でもしようと思った。何より大事な、幼馴染で友人だから。親を亡くして空いた空洞を埋めてくれた存在だから。笑いあい語り合い、傍にいて。それが幸福で、それ以上のことは何も望まない―――そう自分でも思い込んでいた。
いつからか、彼の中に別の何者かが生まれていた。彼女の姿を目で追う、白い手が彼の肩に置かれる、微笑んで振り返り彼の名を呼ぶ、その度に。胸の底がざわついて息が苦しくなった。見つめていること、傍にいることが無上の幸福であると同時に苦痛だった。背反する感情をときに持て余しながら、それでも均衡を保っていたものに、変化がおきた。彼女が恋をしていると知った時。誰よりも、彼女自身より先に彼は気づいた。
その時から。彼は声を飲み込むようになった。許されるなら喉が破れるまで叫んだだろう。“お前を愛しているのは、俺だ。命に代えても惜しくないほど。誰より深く愛している”
決して外に出せない言葉。吐き出してしまった途端に、世界が崩れ落ちる呪文だった。声を潜め、鍵をかけて押し込め、溢れ出さないように努力した。幼馴染で友人で兄であり、彼女が全幅の信頼をおくに足る人間であること。そのことだけに腐心してきた。
そのはずだったのに。
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「フランソワ」
子どもは教会の石段の上に座っていた。人通りも途絶え、遠くで犬が吼える声だけが聞こえる。彼の座っている場所は月の光からも陰になっていた。アンドレは黙ってそばに腰掛けた。
「どうして、アンリにさよならを言わなかったんだい」
「・・・・・」
「アンリが寂しそうにしてた」
「だって・・あの子には母さんがいる」
フランソワは両足の間に顔をうずめて呟いた。
「しょっちゅうぶたれるって言ってたんだよ。でも機嫌のいいときはキスしてくれるって。僕の母さんも僕を抱きしめてキスしてくれた。すごく暖かかった・・」
「ぶたれたって母さんは母さんだ。僕の母さんはもう迎えに来ない、来れない。僕はずっと・・ずっと胸のこの辺が冷たいままなんだ。冷たくて苦しいんだ」
顔を上げてアンドレを見る子どもの頬は、傾いた月光に照らされて青白い。
「アンドレ、この冷たいのなおるのかな。ずっとこのままなのかな」
蝋燭の明かりの消えた部屋、動かない母の胸。時間も色も音もなくなった、7歳の日。あれから長い時間が経った。胸に開いた空洞は何が埋めてくれたのだろう。
「・・なおるよ」
アンドレは子どもに正面から向き合った。
「きっと直る。冷たいものが消える日が来る」
「どうやって?」
一瞬逡巡した。自分に答える資格があるだろうか。だが・・。
「誰か・・とても大事な人に出会える。その人のことを、他の誰より、自分自身より大切に思えるようになったら、きっとまた暖かくなる」
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「退役させれば、オスカルを追い詰めるだけだと、なぜお分かりにならないのです?いま、あれほどに苦しんでいて」
「オスカルが・・・胸の病ならなおさらだ。療養は長い時間がかかる。軍務に復帰するほどに回復できるかどうかも判らん。先の見込みのわからないまま、軍籍だけをおいておくことはできんのだ」
「希望がなければ、治る病も治りません」
「・・・・・ジェローデルがいる」
「貴方、それは」
「仮にオスカルが軍籍に残ったとしてどうなる。この先、世情が好転するはずはない。それでもお前はオスカルを軍においておきたいのか」
「・・・・・」
「ネッケルの要請どおり三部会が開かれたとしても、民衆の間に溜まった不満が解消されるわけではない。最悪の場合、武力に頼ることになるだろう。王家をフランスを守るために、軍が民衆と戦わなければならなくなる。外の敵より、内なる敵に向かうことは、より苦しく重い。今のオスカルがそれを背負えるとは思えん」
将軍は肩を落とし椅子に沈み込んだ。夫人は夫の俯いた表情に刻まれた皺が、深くなっていることに気づいた。
「・・・私は間違っていた。オスカルは心根の優しい娘だ。このままでは、王家を守る軍人の立場と、民衆に弓引くことの板ばさみになり苦しむだけだ。遅いかもしれないが・・・」
夫人は夫の前にかがみこんで手をとり、冷え切った掌を自分のそれに重ねた。
「間違っていたのは・・・私もです。でもその間違いを正すのは、私達ではなく、あの子が自ら決めることです」
「私が決めることではないと、そう言いたいのか」
「母として、私はあの子を信じていますから」
将軍は暫く黙っていたが、ゆっくり立ち上がり妻の手を離した。
「お前の言うことも判る。だが、後継を決めるのは当主である私だ。ジャルジェ家は、オスカルの息子に継がせる。それが家名とオスカルを守ることになるのだ」
「どうして!判ってくださらないのです」
夫人の声は悲鳴に近かった。将軍はその声を背中に受けながら、扉を閉めた。
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「何故貴方が此処にいるのです」
「それほどまでに私を阻むのですか。今の私なら・・貴方を殺せる」
「貴方は以前言われた。自分はあまりにも非力だと・・だが、たった一人の人間が流れを変えることもあるのですよ。大きな河に続く小さな流れかもしれないが、ひとりが、変えてしまうこともできるんです」
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「広場の先のパン屋の主人は亡くなっていました・・」
「それは・・暴動で?」
「分かりません。川で遺体が見つかったそうです。確か男の子がいたはずですが、その子も何処へ行ったか判らないんです。ほうぼう探しましたが」
「私も探します。いえ・・いや・・私は、私が」
神父の堅く握った拳がぶるぶると震えている。
「どうして、どうして私は・・こんなにも非力なんだ!」
神父は叫んで拳を振り上げると、堅い椅子の背に叩きつけた。
「パン屋の息子はフランソワと同じくらいの年だった。先だっては路地裏で子どもが倒れていた。でも誰も振り向かない、手を差し伸べない。私だって・・私だとて、今いる子どもたち以外助けることはできないんです。今この時にも、子どもたちが誰にも看取られず亡くなっているというのに」
「それは・・あなただけの責ではありません」
神父はかぶりを振った。彼の声は聞こえないようだった。
「これが・・神のみ心なのでしょうか・・ここに今、神の恩寵があると」
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