野に咲く薔薇

庭に薔薇が咲いている。夏の近づく庭先は微かな風が吹いて、咲き染める香りを運んでいる。
「この香りは・・あの白薔薇だな」
「そんなことまでわかるのか」
「一番好きな薔薇だから・・お前に似ている」
「私に?」
「そう、お前に」

私は花の庭を見渡す。葉の濃い緑が陽の光を反射している。朝方、霧雨が降っていたから、葉にも花にも露がこもっている。

「・・白い薔薇が、一輪・・ふたつ、みっつ・・いくつあるんだろう。綻んでいない蕾はもっと多い。まだ目覚めていないけれど。その向こうの黄色い花は、まだ色がのぞいているだけだ。あれは、お前に似ているな」
「俺に?」
「そうだよ、優しげな色が」
「初めて聞いたな」
「今、気がついたから」
見つめあって笑いあう。
「その先の赤は、蕾も青いままだ。咲き誇るにはまだ早い。あの薔薇は彼の方に似ている、誇り高く香る」

この庭は、私たちのいる世界の縮図なのだ。ひとつ一つの花が、誰かの命と呼応している。冬の間、雪の下で色を作り、春に芽吹き、夏に咲き誇る。秋の風が吹く頃、散り染める。

「・・・花が咲いてお前がいて、本当はそれだけでよかった、はずなんだ。なのに、どうして・・」
どうしてだろう、どうして私は。この花のようにただ咲いて、香りを風に乗せているだけができない。炎の熱の前では、香りも花も燃えて消えていくだけなのに。
「どうして、この庭から離れて行こうとするのだろう」
彼が黙って、私の手を取った。花の陰に隠れて、握った手は誰にも見えないだろう。庭には私たち誰もいないけれど、陽の光の溢れる世界で私たちは抱きあえない。

いま、ここで抱きしめたいのに。今この時に、不安を分かち合って、勇気を与え合いたいのに。私たちは・・この美しい庭から出なければならない。ここから離れ、私たちが抱き合える世界を迎えるために。

 

「・・庭を出ても、花は咲いている。何処ででも、お前がいれば薔薇が咲く」

彼の手の熱が伝わってくる。大きな熱い手のひら。私にとってはこれこそが、薔薇だった。優しく熱く、香る薔薇。

 

「何処かで、花を見つけよう・・咲かせよう。ふたりで、一緒に」