風に吹かれて

 

「軍をお引きください」
その時、私に選択肢はあっただろうか。地面の枯葉を吹きあげる、風の只中に立つ私に。

軍を引き、三部会の平民議員、すなわち民衆そのものと対峙する。何故?王は神から権利を授けられ、君臨するもの、統治するもの。それなのに?何故民と向き合わなければならないの。王が見据え、導く先に従うのが国の民であるはず。私の母はそうやって国を統治した。オーストリアを脅かしたのは常に近隣の諸外国で、民ではなかった。では何故、今?この国で?

 

「私は・・彼に貴方様をお守りするよう頼まれました」
「・・いつ」
「あの舞踏会の後で。彼はただ一言だけ、頼む、と」
「あなたは・・なんと答えたの」
「答える必要など、ありませんでした、彼も訊かなかった。あれは私にしか託せない言葉だったから」

だから彼女は私を守ってくれていた。私とあの人の罪を知り、その上で離れず、傍にいてくれた。でも、私はあなたに心からは寄り添えなかった。あなたが少し怖かったから。
公然の秘密だった私の罪、誰もそれを私に咎めない。ただ目を逸らし部屋の隅、扇の影で囁くだけ。それなのに、あなただけが私に真っ直ぐ視線を向けた。あの深い海の色した瞳で。
あなたは知らなかったかしら。そのような真摯な美しさを人が恐れることを。

あなたの瞳は真実の鏡。その蒼を覗き込めば罪が暴かれる。多くの欺瞞、重ねられる嘘、そんなもので築かれたこの宮廷で、真実を恐れない者などいたかしら。

 

「近衛を辞めたいというなら、訳を教えてちようだい」
「それだけは・・申し上げられません」
あれは最初で最後のあなたの嘘だったわ。あの時だけ、私はあなたを理解し寄り添えた。
あの方が戻ってきて再び私を守ってくれた。だから離れる。そう気づいたから。あなたも嘘をつくことがあるのね。青い瞳を揺らして、伏せてしまうことが。

 

でもあの人にも彼女にも、荒れ狂い道を失ったこの国を、嵐の中にいる私を、守ることは出来ない。私は自分で戦い、我が身を子を、夫を守らなければ。それなのに。

「軍を・・お引きください。王后陛下」
あなたは請う。
「あなたは・・私を守ってくれますね」
返事を待たなくともわかる。もうあなたは私を守らない、私を守る壁はないのだ。この庭先で、強い風に吹かれている今この時のように。

でも最後にこれだけは、この一言だけは言わせて。
「また、会いましょう」
答えは無い、答えなど要らない。それは約束ですらなく、儚い夢なのだから。

 

歴史は王が作るもの、私は革命など認めない。王が屈することなどあってはならない。だから彼女は敵になる。再び寄り添って語らうことはもう、無いだろう。
それでも私は言いたかったの。また会えるでしょう、私はあなたを愛していた。その瞳、深く燃える魂、去っていく背中でさえ、私は愛おしかった。

 

いつか、あなたと語らう日がくるなら。ああ、そうだわ。あなたに似た白い薔薇を贈りましょう。貴方が私に向けてくれた献身と愛と信頼。それを、ただ一輪の薔薇に寄せる。

その薔薇の花弁が、風に吹かれて飛び去っていく時私たちの生と死が、空に舞う。

 

 

 




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