世界が明日終わるとしても-12

我らは暗がりにいる 暗渠の中 足元は泥濘 鼠の這う音がする
歩き続け 道を伝う為に壁についた手は 根元から腐れて落ちる

生まれた時からこの場所しか知らない
風渡る草原 春に飛ぶ綿毛 花冠を作って遊ぶことも知りえるはずがない
腐臭のする泥水を飲み 悲嘆の呻き声しか聞こえず 鼠一匹ほどの価値もない命
夕陽を照り返す教会の塔 白い鳥がねぐらへ帰る羽音 中空に輝く白い夜の女神
それは夢ですらない 我らは夢を見ない 闇だけが続く中で誰が眠るというのだろう

花の香しさを知らず 愛を交わす喜びを知らず 誕生の喜びも死の安寧も無い
我らの怒りを地表の人間は知らない
いずれ憤怒は渦となり濁流となって地上の王国を瓦解させるだろう

王国の者どもよ我らの怒りの声を聴け
次はお前達が地下に埋もれる
その日は・・もうそこまで

 

「アンドレ、気を付けたほうがいい」
「何をです?」
「あの教会だ」
アンドレは眉をひそめた。今日は店主が珍しく広場での演説を聞きに行っていた。つい先の街区では暴動が起こったばかりで、この地区に飛び火してもおかしくない。もとよりこの辺りは貧しい雇い者が多い。
「サン・タントワヌ街の暴動は扇動者がいたようだ。貴族だけでなくその庇護を受けている者も糾弾している」
「だからと言って・・」
「孤児院なんてものは貧民窟と変わらん。子どもらは野良犬より痩せている。それはパリ全体がそうだがな。だがあそこの子ども達は飢えてもいない。富裕者の喜捨があると思われているだろう」
「しかし教会ですよ。親を亡くした子ども達にまさか」
「その親達は子どもが飢えて死んでいくのを毎日のように見ている。自分の子どもがパンを食べられないのに、貴族の情けで飢えない者がいる」
「貴族は、それほどに憎まれているのでしょうか」
店主は答えずに、往来を見やった。戸外に出したテーブルの下にビラが絡まっている。
「こういうことだ」
店主が拾い上げたビラには、怪物になった王妃とそれを取り巻く貴族が豚として描かれている。
「俺自身は貴族や王だけが悪いとは思わんが、あいつらが俺たちのことを何一つ思いやっていないのは判る。見捨てられ虐げられたのなら報復してもいい。そう煽る者は多いぞ」
アンドレはそれ以上答えず、手に取ったビラを握りつぶした。だが、足元に散らばったビラ全てを潰すことはできなかった。

 

「君には詫びねばならん。婚約は・・保留にしてもらいたい」
「それは、オスカル嬢の体調が問題なのですか」
「・・・今、婚約や結婚が出来る状態ではないのだ。ヴェルサイユを離れて静養させることも考えている」
将軍は椅子に深く沈みこみ、こめかみに手を当てた。顔色が悪いのは、薄暗い照明のせいではないようだった。
「まるで何かにとり憑かれているようだ。青い顔をして、半分死んだような」
「・・そのとおりですよ」
「何だと?」
ジェローデルは答えなかった。半分死んでいる。まさにそのとおりだ。彼女の心臓と半身がもぎ取られ打ちのめされて、立てないでいる。
「少佐、君には心から申し訳なく思っている。この話はもう」
「お待ちください。私は話を反故にするつもりなどありません」
「しかし、あれは」
「オスカル嬢には何より支えが必要です。私がどれだけの力になれるか判りませんが、今、手を離すことなど到底できません」

ジェローデルは将軍の答えを待ったが、俯いて黙ってしまった男の沈黙こそが返答だとわかった。将軍は沈黙が自身を刺しているようで、居たたまれなくなり立ち上がって呼ばわった。
「オスカルが起きているなら、少佐が見舞いに来られたと伝えなさい」
そう命じられた古参の侍女の代わりに、ばあやが入ってきた。
「どうした?オスカルは」
「・・外出を」
「なんだと?!」
「私は気づいて・・お止めしたのです。でも行かせてくれと・・青い顔で震えて、どうしても行かなければならないと。私は引き止められませんでした」
老女は白くなるほど手を握りしめ、涙を零していた。
「申し訳ありません。申し訳ありません、旦那様。私では・・駄目だったんです」
彼らは顔を見合わせた。あの弱った体で・・いったい何処へ。

 

――どうしよう、迷った。
フランソワは不安気に見回す。母と暮らしていた街区に向かおうとして、まったく知らない場所に出てしまっていた。迷いながら暗い路地に入り込むと、何かにぶつかって転ぶ。それは蹲って動かない人間だった。思わずその体に触れると冷たかった。
――嫌だ、怖い。母さん・・母さん。
少年が闇雲に走っていった先の広場には、群衆が集まっていた。手に鍬や棍棒を持ち、殺気だった群衆は足元の子どもになど気づかない。騒ぎに駆け付けた軍隊と対峙して、一触即発の事態だった。軍隊が銃を掲げ、銃口を民衆に向ける。双方とも押し黙り、緊張を破るきっかけを待っている。その中で少年は動くこともできず、立ち竦んでいた。群衆の先頭にいた男が怒声と共に、軍隊に石を投げつけた。威嚇の銃声が響き渡る。入り乱れた人の渦に巻き込まれて少年は転ぶ。立ち上がろうとして上を見ると、軍馬が目の前にいた。
「やめろ、止まれ!子どもがいる」
鋭い声が響いた。

 

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