Survivor -1


いつも考えていた。朝目覚めたとき、夢の中でさえ。一瞬たりとも忘れることなどできなかった。 あの時・・・べきだったと。

 

その男が村へ来たのは、根雪の解けかかった3月の日曜だった。森を抜ける古い街道をやって来て、そのまま村はずれの空家になっていた家に住み着いた。着いた最初の日に男が言葉を交わしたのは、少し離れた隣家の露台に杖をついて座っていた老人だけだった。
暫くの間、村人は男に気づかなかった。男の家--最後の住人は大きな町へ出て行ったままうち捨てられていた--と隣家は森との境界の際にあり、男は村の中心に出てこなかったし、気難しく足の悪い老人と孫娘とその息子の家族以外、男と話した者はいなかった。素性の判らない教会にも行かない男を村人は疎んじた。

その月の終わりごろ、嵐の後に壊れた家を直していたひとりの村人が、屋根から落ち昏倒した。苦しげにうめくだけで意識が戻らない。それを知った老人の孫娘は何を思ったか走って男を呼びにいき、不審がる村人を宥めて怪我人を男に託した。男は怪我の具合を確かめ、周囲に指示をして室内にそっと運ばせた。衣服を裂き治療に当たる男の所作は手馴れていた。
数週間後、胸と頭を打っていた村人が歩き出した頃には、男は多少ながら村に受け入れられていた。大きな街道沿いの町から離れ寂れた村に医者はいない。床屋すら何年も前になくなっていた。それに男はほとんど治療の対価を求めなかった。しかし請われれば助力は惜しまないものの、村人と関わろうとしない男の態度は変わらなかった。

「あの人は自分のことは何も話さないのね」
「話すことの程が無いのかもしれんし、何も話せないのかもしれん。そっとしておいてやれ、アンヌ」
「僕あの人のこと好きだよ。熱が出て苦しかったとき一晩中いてくれたんでしょう」
「ええミシェル、貴方の命の恩人よ。だからこそ力になりたいのに」
老人の孫娘、両親も夫も亡くし老いた祖父と幼い息子とひっそり生きるアンヌは、愛情も暖かさも拒んでいる男の深い溝を、おぼろげながら判っていた。しかし息子が死の際に近づくような高熱を出したとき、口に入れてもすぐ吐き出してしまう薬を、男は子どもに辛抱強く飲ませ、長い夜をまんじりともせず必死で戦い、息子の命を取り戻してくれたのだ。明け方息子が眼を開けて呼吸が楽になったとき、彼女はロザリオを握り締めたまま泣き崩れてしまった。その時肩に乗せられた手の暖かさは、男が人を拒否するような人間ではないことを物語っていたが・・。

 

その頃、男は冷たい寝台に横たわり暗い天井を見ていた。眠りはなかなか訪れない。毎夜の浅い眠りの中で、男はもう何年も夢を見ることが無かった。夢がどんなものかすら忘れかけていた。昔は深く眠り夢を見ていた気がする。目覚めたとき朝の光が部屋に満ちていることも、当然だと思っていた。今の彼は必ず夜明け前に眼をあける。生きて再び眼を開けたことに、夜が白み始め一日がまた始まることに絶望する。

 

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