凍る

冬の月は息さえ凍りつかせる。

 

深い眠りの幼い子どもが突然、夜半に目覚めた。家の中は暗闇で物音ひとつしなかった。人の気配が無かった。いまだ夢の中にいるような心地で、いるはずの母を捜した。足をおろした冷たい床から冷気が伝わり、不安に心臓が凍りそうになる。小さな家の何処にも母の姿は無い。きっと、外だ。声を出そうと思うのに出せず、あらん限りの力で扉を開け放ち、満月の下へと出た。地面を踏むごとに氷の割れる音がする。母の姿は見えない。月光は野や河を照らしていたが、何処にも人の影は見当たらない。

必死で走った。涙がにじんだ。自分の息の白さだけしか見えなくなり、闇雲に走っていた子どもが転んだ。痛みと心細さで押しつぶされそうになり、それでも顔を上げると、丘の上に光の塊があった。白い光が揺れている。その前にようやく求めていた影を見つけた。人影は光に手を差し伸べ、光の中へ入ろうとしている。立ち上って走りながら、凍った喉を破るように、叫んだ。

「---かあさん!!」

搾り出した悲鳴に、揺らいでいた光がとまり、母が振り返った。その瞬間光が消えた。涙で滲んだ目をぬぐって、ようやく母の裾へとしがみついた。見つけた、やっと。

「・・アンドレ」
「怖かったよ、怖かったんだ。何処へも行かないで。寒いよ」
「・・何処へも行かないわ。アンドレ、こんなに冷たい足をして」
子どもは答えられない。安堵と、いまだ去らない一抹の不安。あの光がまた揺らぎ立ち上って母を連れ去るのではないだろうか。抱きしめてくれた母の肩越しに、巨大な銀色の天体が闇を破り光っている。子どもの目に大きすぎる月は、母を飲み込んでしまいそうに見えた。連れて行かないで、連れて行かないでお願いだから。
母にその声が届いたのか。怯えた子どもを抱きかかえ、二度と月を振り返ることはせず、母は家へと帰っていった。二人だけの、二人しかいない家に。

今ならわかる。母は、父の元へと逝きたかったのだ。父が死んで初めての冬。凍りかけた小川の水面に映る月の光の、その中に入って・・。
あの時、母を引き止めたことが正しかったのかは判らない。愛するものに遺されて永らえることの苦痛の中に残してしまったことは、許されることだったのだろうか。母自身に問うことも、もうできない。

傍にいてくれ。私をひとりにしないで・・。そう腕の中で呟く恋人の細い肩を抱きながら、あの月夜のことを思い出す。決して離れはしない、残していったりしない。お前は、冬の月の魂の凍える冷たさを、知らないままでいてくれ。

 

安心しておやすみ・・お前をひとり残して、何処へも逝ったりしないから・・・

 

 

END