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触れられないと思っていたからずっと。指先を伸ばしても、その先はないと。

「・・触れたのか」
「何?」
「彼だ・・伯爵」
「あ・・」
一度だけ。友人としてではなく、触れられたことがある。友人でなくなったあの日だ。
「そうだ、あの日。俺がお前に・・」
悲鳴にも手を止めなかった。あのまま、激情のまま涙に気づかなければどうなっていたか。
「違う!傷つけたのは、私なんだ」
あの日まで、傷つけていたことすら気づかなかった。想うだけの恋が終わったことより、そのことが辛かった。
「私が、お前にどれほど・・」
彼が手を伸ばして、彼女の頬に流れた物を掬った。
「俺もお前を傷つけた、判っている。判っているけれど」
それでも、それでも抑えられない。こんな感情は理不尽だ。全て手に入れながら、まだ欲しいのか?彼女の過去も、誰かが触れた髪も、全部。
「・・・アンドレ、何が欲しい?」
過去も未来も全部、お前にあげられたらいいのに。こうやって抱き合えるのは夜の間だけ。朝と昼は彼のものではない。彼が与えてくれたものに見合うだけ、私は与えられるだろうか。
「ならば今夜だけ・・・一晩だけでいいから」
もう二度とお前を傷つけたくない、俺の中に渦巻くものを止めてくれ。腹を食い破る激情を、これ以上育てたくない。
「抱いていてくれ、ずっと。お前の腕で」
私が、私の腕で、体温でお前を救えるなら。朝まで抱いていよう。お前が私にくれたキスの数だけ、お前に返そう。
「私の胸で、お前の棘を溶かすよ・・」
彼女の腕は暖かく、胸は柔らかく沈む。このまま朝まで・・・。
「こうやってお前の胸に沈んだまま、髪を撫でていて・・・いいか?」
「愛している・・アンドレ」
彼が触れている髪が生まれ変わっていく。抱きしめて、抱きしめられているところから、細胞が全部。
「・・・愛しているよ」

 

触れて、抱きしめて、その先がある。この夜が明けた先に、朝と昼も、共にいられる日が、きっと――。