空と泉

そんな目で見てるのに、靡かない女もいるんだな」
「なんのことだ」
「今、お前が見てる女だよ」
アランが振り返る先に、アンドレが追っている姿があった。陽の傾く練兵場で佇んでいる。
「どんな・・目をしてる、俺は」
「自分でわかってるだろ、言わせんな」
アランは苦笑しながら兵舎へ戻っていく。アンドレはかぶりを振って目を逸らした。
____言葉にしなくとも、わかってしまうものなのか。
ただ見つめているだけのつもりだった。そばにいる時も、今のように離れている時も。夕暮れの赤い日差しの中、かすかに髪を揺らすあの姿。見つめているだけで、寂しいような悲しいような心地になる。
この時間を、風を切りとって永遠に留めておきたい。誰ひとり触れることのできない、蜃気楼のように、雲間に落ちていく太陽のように。触れられず手も届かないなら同じことではないか。
彼はまた目で追っている自分に気づいた。視力が失われたら、もう追わずにすむ。それだけは幸いなのかもしれない。瞼の裏の残像だけは、消すことができないけれど。

______彼が見ている。
そちらに目をやっていないのに、オスカルは彼の視線を感じとれた。稜線に傾く陽を眺めていてふと、彼が見ていることに気づく。振り返れば、あのいつもの、泣きたくなるような懐かしい眼で見ているのだろう。そして目があうと、優しく微笑む。
いつから、どれほどの間、そうやって見つめられていたのか。何日、何ヶ月、何年も、ただ黙って優しく。
____見つめられるのが苦しくなったのはいつからだろう。
幼い時は振り返って彼と目が合うのはただ嬉しかった。柔らかな癖毛が揺れて、微笑んだ時目元がいっそう優しげになって。喧嘩をしても、彼のあの瞳を見返すと怒りは続かなかった。

風が一瞬強くなり、地面から砂を巻き上げた。目に違和感を覚えてしばたいていると、彼がすぐそばにいた。
「大丈夫か?」
オスカルは目を落としたまま、顔をあげられなかった。彼の瞳を、あのどこか寂しげな視線を見返せなかった。見てしまえば心が揺れる、言ってはいけないひと言を呟きそうになる。
「お前こそ、目は」
「言っただろう、片目でなんでも見える」
だからお前が思い煩わなくてもいいんだ。そう、言葉でない言葉が言っている。
「では、あの夕陽も」
「ああ、夏が近くなったな。燃えるような赤だ」
「私の・・横顔は」
「見えているさ」
「・・私の右に立っているのに?」
「見えている、髪が朱に染まっている。眩しそうに目を細めて、口元が少しほころんでいる。何かを言おうとして・・口をつぐんだ」
「・・・・」
「見ていたいんだ・・」
「・・私は」
「お前には、俺が見えているか」
その言葉にはっとして、オスカルは顔をあげた。彼の視線とぶつかる。癖のある柔らかな前髪が揺れている。口元には優しい笑み、そして、ずっと昔から知っている、幼い時から変わらない、深く透明な黒い瞳。

______そうだ、私はこの瞳を見つめるのが好きだった。瞳孔は深淵のように暗く、その周囲は宝石の欠片のように輝く。光の反射で、さまざまな色が煌めいているのが不思議だった。この瞳で見たら、周囲が私と違って見えるんだろうか、そんなことも考えた。その黒い瞳に自分が映っていることが、何より大切な秘密の宝物のように思えたことも。
「見えているよ。私もずっと・・・見つめていたい」
彼らはしばし、互いの瞳に映っている己を見ていた。彼は青い空に浮かぶ黒い人影を、彼女は黒い泉に揺らぐ青い姿を。

 

______このまま、瞳の中にとどまっていたい。お前が永遠に目を閉じるまで。閉じた瞼が土に朽ちても、刻まれた愛する者の姿は

 

 

消えない