日差し

雨が降り続いている。夏の雨は身体に染みついて重い。
「オスカル、戻るか」
「あ・・あ、そうだな」
回廊を歩くふたりの足音は雨に紛れて聞こえない。議場の騒ぎも落ち着いたらしい。歩きながらふたりは黙ったままだったが、ふとオスカルが立ち止まった。

「私は・・」
そのままうつむいて言い淀む
「私は、貴族に生まれるべきではなかった」
「なぜ」
「私は先刻・・驚くと同時に怒っていた。力で私の意思を無いものにされる怒り」
アンドレの表情が歪んだ。
「だから振り解こうとして、その時、唐突にわかった。意思を無いものにされる、それはお前のことだった。お前の怒りと同じ。強いられる行為より、その衝撃で動けなかった」
「・・・・」
「アランも兵達も、民衆も、平民であると言うだけでその意思は無いも同然だった。私はあの唾棄すべき男と同じ階級で、生まれた時から人に傅かれて生きてきた。その私は、お前の怒りを本当には理解していなかったんだ。意思を抑え付けられたお前も、こんな風に怒りを秘めたんだろうか。何年も・・腹が煮えるような、身のうちが爆発するような渦をずっと・・抱えて」

アンドレはつと、オスカルの頰に手を伸ばした。濡れているのは雨のせいではなかった。
「私は、自分の中に貴族の血が流れているのが苦しい。目がくらむようなこの怒りは、私自身に向いている。どうすることもできない、貴族であることも、お前を苦しめた私自身も・・」
「オスカル・・」
「お前は・・こんな焦燥を、ずっと抱えていたのか」

「そうだ・・・・俺は、ずっと怒りを抱えてきた。傅く者と傅かれる者、当然のように分たれ、愛を、告げることすら許されない」
触れているアンドレの手のひらに震えが伝わる。
「生まれた時に定められたと言うなら、どうして出会ったのだろう。どうして、愛してしまえるんだ。貴族と平民の血の色が違うなら、愛など生まれるはずはない。時折、どうしても苦しくて喉をかき切りたくなったよ。違う国の遠い場所で、出会わずに生きたかもしれないのに」
「それなら・・それならば、今からでも・・」
「でも出会った、愛してしまった。俺にとっては、怒りよりもっと、愛の方が強くて、重い。怒りは消えることはないが、それよりもっと・・重いんだ」
オスカルは俯いたままだった、頬はまだ濡れている。
「それを、教えてくれたのは。オスカル、お前だ」
はっとして、彼女が顔をあげる。
「お前が振り向いて微笑むたび、俺の名を呼ぶたび、心にあるのは怒りではなく愛しさだった。お前が陽光の下で、風に髪を揺らすだけで、心が満たされた。同時に切り裂かれてもいたけれど・・間違いなく、それは俺にとっての福音のような愛だった。お前が与えてくれた」
「私・・・が」
「だからお前は自分の生を、恥じなくていい、悔いなくても。お前の心が、俺を満たしているんだから」
「アンドレ・・・」
「だから約束してほしい、お前はそのまま己の信じるところに従うと。お前のままで、生きると」
「私の、ままに・・」

雨あがり、回廊の向こう。路地と広場と森の彼方から、陽が差していた。夏の日が始まろうとしていた。

 

―――アンドレ、約束しよう。お前がそばにいてくれる限り、私は私のままで、生きる。