世界が明日終わるとしてもー28

————これが最後だ
まだ明けきらない早朝の教会はひっそりと静まり返っている。打ち破られた扉をまたぎ、そっと歩いた。いつもここから入って、あの像を、面影だけをみるために。足音だけが高い天井に響く。ステンドガラスがあった東の窓から、曙光が差し込んでいた。窓の下にはまだ色とりどりのガラス片が散らばっている。差し込む光に照らされ、金色の一片が光った。彼はそれを手に取り、見つめた。傾けると、反射した光は彼の頭上を照らす。

持っていこうか。彼は迷い、ガラス片を手から離せないでいた。金色の光、パリを離れても、遠い国に行っても光はある。ただそれを自分が見ていられる時間は少ない。失ったものをもう一度失うからといって、その名残を留めておくことに意味はあるのか。
彼は苦笑して、ガラスを足元にそっと置いた。陽の角度が変わり、ガラス片はとりどりの色を天井に投げかけている。この光だけを心に残しておけばいい。目で見る光はもう直ぐ失われるのだから。
「・・・さようなら」
その時、彼の背後に足音がした。

 

オスカルが兵舎に入ると、副官が迎えた。常にはないことにオスカルが目で問う。
「先ほど、伝令が参りました。B中隊は、十三日に出動のこと」
「・・わかった」
「隊長・・」
「兵達には私から伝える」
「了解いたしました。あと、アランがお伝えすることがあると」
「アランが?わかった、呼んでくれ。あ、そうだ。ダグー大佐」
部屋を辞そうとした副官を、オスカルが呼び止める。
「何か」
「あなたには、家族がいたか」
「・・妻は胸の病で亡くなりました。他に家族はおりません」
「そうか」
「今生の別れなら、私には無用です。隊長こそお心残りのないようになさってください」
「大佐、私は」
それ以上言葉をつがせず、大佐は敬礼して部屋を出た。
「・・・心残り」
オスカルが俯いたまま考えていると、ノックの音がした。アランが入ってくる。
「話とは」
「これを、預かった」
いつも着崩している軍服の釦が今は硬くかけてあり、アランはその懐から粗布の袋に包まれたものを取り出した。
「何だ?」
「さあ、渡してくれと預かっただけなんでね」
手に取るとずしりと重い。オスカルが布を開くと、畳まれた紙片の下に金色が見えた。
「これは・・・」
見事な金の意匠。蔦のように腕輪に絡まる葉、そして中央の、青い色。
「・・希望、だ」
「必ず隊長に渡してくれと、ばあさんが持ってきたんだ。アンドレの身内だろ、いろいろ聞いたよ」
オスカルの肩が震える。
「ダグー大佐が険しい顔をしてた。出動命令が出たんだろう。隊長、今ならまだ間に合う」
オスカルは手の中の紙片を読んだ。
『奥様から、お嬢様に何かあればお渡しするようにと、仰せつかりました』
「・・・母上」
「俺たちは、牢獄から解放された時から覚悟はできてる。死地に後悔は持っていきたくないし、いかせたくないんだ。隊長」

オスカルは顔をあげた。
「アラン・・必ず、戻る」
「待ってるぜ」
外に出ると、東の空の重苦しい雲間から、曙光がひとすじ差し込んでいる。オスカルは左胸に手をやった。そこに感じる重み。
「・・・希望」
誰に言うともなく呟いて、オスカルは走る。

 

「将軍、オスカルが出動すると聞きましたが」
王妃と将軍が向きあっている庭先に、殆ど人影は無かった。夏の日差しの下、薔薇だけが揺れている。
「王后陛下、失礼ながらそのような者はおりませぬ」
「・・何故?」
「オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェ准将は、もういないのです」
「そう・・・それは、それはとても・・寂しいことね」
「はい、陛下」
「寂しい・・わ」
王妃は手元の薔薇に手を伸ばし、手折った。一陣の風が吹き、幾片かの白い花びらが散った。ふたりは黙って、花の舞い散る先を見つめていた。

 

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