「・・・アンドレ」
「どうして・・ここに」
陽が少し高くなったのだろうか。差し込む光が強くなり、扉から出たオスカルの頭上を照らしている。光を纏うその姿は、アンドレには幻のように思えた。
「天使様?天使様でしょう」
「フランソワ、こちらへおいで」
「だって神父様、あの人だよ。僕を助けてくれた天使様」
オスカルに駆け寄ろうとした少年を、神父がおし留めた。
「・・・お前に伝えたいことがあってきたんだ。私は・・お前の愛を、このうえなく残酷な形で返してしまった」
「なにを・・」
あまりにも夢に見ていたために、眼前の姿が触れれば消える影のようだった。肩を振るわせ、青ざめた膚で目を落としている彼女。何を言おうとしているのだろう。
「私は・・お前の子どもを、死なせた」
「・・・子ども?」
「まだ、生まれてさえいなかった。光を見ることも、洗礼を受けることもなく・・私・・私が、死なせた、殺したんだ」
オスカルはゆっくり、伏せていた目を開けた。青い瞳が彼の視線とぶつかる。
「すまない・・・すまない。私には許しをこう資格すら、ない」
オスカルはがくりと膝を折り、床に崩れ落ちた。
「・・・・すまない」
「アンドレ!」
子どもの高い声が響く。
「どうしたの、天使様?アンドレ、天使様が泣いてるよ。ねえ」
——こども、が
「あの人、泣いているのに」
———死んだ?
「アンドレ!!」
彼は割れた窓を見上げた。もうそこに天使はいない。百合を持ち、無原罪の宿りを祝福した金髪の天使は。
呆然と見上げる彼の周囲から音が消えた。叫んでいる子の声も、彼女の嗚咽も聞こえない。彼女の傍へ行きたかった。だが・・何かが阻んでいた。彼女の前に小さな黒髪の少年が立っている。泣いている彼女に背を向けて・・。
―――アンドレ、もう行こう。
『でも、誰か・・泣いている』
―――だめだよ、家に帰ろう。母さんが待ってる。
『あの声は・・オスカルが泣いている。行かなくては』
――――行ってどうする。彼女を抱きしめて涙を拭ってやって、すべて受け入れるのかい。君は彼女のために眼を潰したのに、彼女が君に与えた仕打ちがこれだ。
『しかし』
―――愛を返さず、愛されることだけに安住した、君の愛を知っていて打擲した、いま彼女はその報いを受けてる。だからこのまま去っていけばいい
『でも・・あんなに泣いている』
―――彼女は知っていた。君が命がけで愛していることも、君の目が光を失っていくことも。誰より彼女のそばにいたのに、君の苦しみに何ひとつ気づかなかったとでも言うのか。彼女は知っていて目を背けたんだ。
『お前は誰だ、何故そんな酷いことを』
――――僕は、君だよ
『俺?』
――――君の潰れた眼の裏にいる、傷つけられた心が僕だ。そして君が、彼女の“告発者”だ
『そんなはずはない、俺は』
――――誰より彼女を愛し、そばにいた。彼女の愛も苦しみも全て受け止めて。それなのに、君を追いつめ傷つけ、最も重い罪を犯した。だから彼女は、君に裁かれようとしている。
遠くから声が聞こえてくる。暗闇の奥から、泣いている声が。
――――裁かれることを願っているなら、望みどおり罪を宣告しよう。君は去ってゆき二度と戻らない。彼女と出会う前の人生に戻る、彼女のいない人生を。
「・・・俺は」
「ねえ、天使様。泣かないで」
フランソワがオスカルに近づいていって、小さな腕で肩を抱いた。オスカルは跪いたまま動かない。
「どこか痛いの?なにか悲しいの?僕はここにいるよ、泣かないで」
オスカルの肩が震え、ゆっくりとフランソワに顔を向ける。
「僕、ずっと天使様に会いたかったんだ」
――――――ずっと、お前に会いたかったよ
「会いたかった・・オスカル、お前に」
「・・・アンドレ」
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