アンドレならきっと、白が好きだって言うぜ。
帰りの馬車の中で、手の中の一輪の薔薇にそっと顔を近づけた。アランが大きな手に似合わないほど繊細に摘み、帰りに持たせてくれた花。あの人に紙の薔薇を渡した代わりにと。
「お前さんたちが持ってたほうがいいんじゃないのかい」
「ずっと、大切に守っていました。でも紙の色も褪せてきて、形あるものはやがて消えます。それくらいなら・・」
私が頼み事を口にすると、アランだけでなく夫も驚いた。夫は私があの薔薇を持っていることで、私が危険になるのはないかと危惧していた。でも私は絶対に手放したくなかった。それは激しく美しく生きた薔薇たちのよすがだったから。
「わかった、あんたの望みどおりにするよ」
「ありがとうございます」
「今、か」
「いえ、私たちが帰ってから。あなたの思う時でいいんです。晴れて・・風が強くて。何処までも遠くまで行けそうな、そんな日に」
「そうだな、それがいい」
素朴だが美味しい料理とワインを振る舞われ、帰りの馬車に乗り込もうとした時。ちょっと待っててくれとアランが呼び止め、私にこの花をくれた。
「赤・・」
「今はそれしか咲いてないんだ、悪いな」
「あなたが?」
「似合わねえだろ」
「いえ・・ありがとうございます」
扉を閉める直前、アランが私に小さい声で話しかけた。私は言葉なく頷いた。
「アランは、なんと言っていたんだ」
夫が私の手の中の薔薇を見ながら問う。
「・・お前たちは生きろ、生き延びろ。そう言ったの」
「生き延びる・・」
私はウィと言えなかった。今の時代、生き延びることが一番難しい。
「あの人こそ、生き延びられるかしら」
「そうだな、アラン班長には海辺の村で畑を耕しながら、薔薇を育てて穏やかに生きてほしい・・俺たちとは」
そこで夫は言い淀んだ。でも私にはわかる。俺たちとは違う平穏な道を。そう言いたかったのだ。流される血の多すぎる革命に、異を唱える夫の立場は危うい。
「薔薇の・・運命」
今まさに咲き誇っている薔薇の香りが、狭い馬車の中に広がっている。赤い薔薇、それは私が末期を見届けた彼の方の香りに似ていた。全てを剥ぎ取られ、最後には名前さえ奪われたその人は、不思議に甘い香りがしていた。
――――白が好きだって、言うぜ
そうね、アンドレ。あなたは白い薔薇が好きだったわね。でも私は赤い薔薇も、白い薔薇も愛していた。私が愛した、薔薇のさだめの人たち。
「アランは、私の望みを叶えてくれるかしら」
「きっとやってくれるさ。晴れて遠くまで青い海が輝いている、そんな日に」
「あなたが詩人だとは知らなかったわ」
「君こそ」
私たちは久しぶりに笑いあった。生き延びられなくても最期の日に、これが思い出になったらいい。
「夏だといいわ、あの・・夏のような」
その夏の日、風が吹き、海は白波が輝き、陽の光が水面を彩っているだろう。そんな日に男がひとり、白い薔薇を海に手向ける。薔薇は風に舞って落ち、しばらく水面を漂うが、やがて波間に消えていく。魚たちが夜の月と見間違う。
そうして薔薇の運命は永遠に漂うのだ。あの人の瞳のような深い青い海の中で、彼の方の瞳のような青い空の下で。
運命はーーーー永遠になる。
END