新月の瞳

夜の闇は全ての人に平等である
地上に生きるもの全てに降りかかる
明日を知らない恋人たちの上にも

「あんまり・・見るな」
「何故」
「そんな風にじっと見つめていて欲しくない」
「お前を見ていたいだけだ。どうしたんだ、今日に限って」
「お前に見つめられると・・。何が可笑しい?」
「笑ってなんかいないよ」
「嘘、いま笑っていただろう。だからわたしを見るなって言って・・ん・・」
「見るのが駄目なら、せめて触れさせてくれ」
「だから、そうじゃなくて・・く・・離せ」
「どうして、いまは目を閉じているのに。・・何がいけない?」
「今日は・・もう、離れて・・・」
「わかった。降参したよ、お姫様」
「お前に見つめられるのが・・苦しいんだ」
「ずっと目を閉じていろと?」
「今は・・ああ、そうだ。これで・・」
「何」
「黙って・・こうしていて」
「やれやれ、これじゃ確かに何も見えないな」
「きつくはないか?」
「大丈夫だけど、お前が何処にいるのかすら、わからない」
「ここにいる」
「ああ、本当だ。お前の頬、唇、・・うなじ。触れただけでも眼の中に浮かぶよ。白い肌も、 吸い込まれるような蒼い瞳も、見えなくても分かる。・・いや、眼で見るよりずっと鮮明だ」
「暗闇の中でも、わたしが見えるのか?」
「ああ、いまお前がどんな表情をしているのかも・・」
「どんな」
「少しほっとしたような、でも怯えているような、・・今はちょっと笑ってる。当たっただろう」
「ふふ、さあ、どうかな」
「当たっているくせに、まあいい。俺にも頼みがある」
「何?」
「眼を閉じないで」
「・・どうして」
「お前の見ているものを全部教えて欲しいんだ・・何が見える?」
「黒い髪、耳朶、顎の線、シーツ・・」
「他には?」
「肩・・その上にわたしの指がのってる」
「でも、いまお前の指は俺の胸の上だ」
「そう、今は自分の手は見えない。見えるのはお前の肌だけだ」
「そうだね、お前の髪が胸にくすぐったいよ」
「こうすれば、もっとくすぐったい?」
「・・そう・・だな・・。見えないから余計に・・」
「わたしが何をしてもお前には見えない・・。感じるだけ」
「悪戯なやつだ。こんな風に目隠しされて、何も見えるわけないだろう・・」
「・・怖いから・・」
「怖い?俺がか?」
「・・その眼が怖いんだ。眼も唇も指先も・・全部怖い」
「何故?」
「どうして・・かな。多分お前が知らないわたしを開くから」
「・・・」
「お前と肌を合わせるたびに、皮膚が剥がされていくような気がする。剥がされて曝されて、 何もかも弾け飛んでしまいそうになる。それが怖いんだ・・きっと」
「こうしていることが苦しいのか?」
「お前の胸は広くて、肌は暖かい・・でも時々喉の奥に何かが詰まって・・泣きたくなる」
「それは俺も同じだよ」
「本当に?」
「お前が振り向いて、俺に微笑みかけるたびに身体がばらばらになりそうだ。お前が歩くたびに、 呼吸するたびに、見つめているのが苦しすぎて、目を抉り出したくなるね」
「それは駄目だ!」
「大きな声を出しては駄目だよ、いくら扉が厚くても、鉄でできているわけじゃない」
「・・・だって・・お前が・・そんなことを言うから・・」
「泣いているのか?」
「泣いてなんかいない!」
「冗談だよ、・・悪かった」
「お前は・・目は・・もう片方しか残っていないのに」
「片目でもお前の姿が見える。それで十分だ。他に見たいものなど無いよ」
「これはでも、わたしが・・」
「もう言うな。あんまり駄々をこねると、目隠しを取るぞ」
「取っていい、わたしもお前の眼が見たい。いつもの漆黒の瞳に映っている自分が見たい」
「ふふ、ああやっぱりお前が見えるほうがいいな、俺も」
「何が見える?」
「愛してやまない女」
「わたしの眼に映るのは・・今日の新月のように黒い、優しい目を持った男」
「もう俺が怖くない?」
「お前がそばにいてくれる限り、何も恐れるものなどないのに、わたしは変だな」
「さあもう・・お休み」
「ああ・・お前も」

『オスカル、お前は知らない。俺の眼がもう殆んど見えないことを・・。だからこそ、
お前のその蒼い瞳で、何もかもを見ていて欲しい。お前の目に映るものが俺の全てだから』

END