残光-小栗判官

おられませぬか 誰もおられませぬのか
貴方様 貴方様 わたくしが参りました

ああなんということ
闇夜に川を渡り 雨で崩れた山肌のぬかるみに
足をとられながら此処に辿りついたというに

貴方様とお別れしてから幾年過ぎたのか
あまりに古い昔でもう覚えも定かではありません
ただ貴方様のことを ただお声が聞きたい お顔が見たいその一心で
指は曲がり足は萎えても此処まで参りましたものを

かつて壮麗であったろう綺羅の屋敷は壁の土塊だけを残し
後は白い土と花もつかない黒い草に覆われております
音に聞こえた美丈夫と数多の歌に詠われた貴方様のご勇姿も
今は知る者とておりませぬ
みな全て歳月の流れに呑まれ消えていったのでございます

この老いた婆の潰れた眼の裏にのみ貴方様の面影が
火を噴く荒馬を乗りこなし山の頂までひとときに駆けていった
あの日のお姿をわたくしだけは覚えております

その貴方様は黄泉の国に墜ち餓鬼となり
わたくしのことなどお忘れになったでしょう
貴方様をただひとり覚えているこの婆も
命はもはや風の前の灯火の如くでございます

栄華の月の残照を老いた身体に微かに感じつつ
わたくしもここで果てることといたしましょう
末期に貴方様と出会えた地に戻り朽ち果てる
わたくしの身は幸いでございます

これからわたくしも餓鬼となり
人でいた全ての覚えをなくした上に
再び会いまみえましょうぞ

お別れでございます
そしてまた

お会いしとうございます