南から来た男

彼の膚は何処か南の香りがする。冬には太陽の光が薄く、落ちる陽は早い、そんな巴里の空気ではなく何処かの。見たことも訪れたこともない知らない土地。スペイン?イタリア?いや、もっと。もっと遠くだ。夏の太陽はいつまでも沈まず、木々の香りが強く、影が濃い。道の土は黒い。川は広く豊かに流れている。きっとどこかにそんな場所がある。お前の・・魂が生まれたところ。

海の果てが大地の下に落ちていく、そんな風に信じられていた時代に、一人の旅人が東の果てに辿り着いたという。黄金が光り、人々は穏やかに微笑み、赤ん坊は木陰の揺り籠でいつまでも眠っている。氷河と霧と砂漠の果ての国。そこから長い道をたどってきたという絹のローブ。濃い蘇芳色に金の更紗が描かれている。眠る彼女の肩にかけられたそれは、しどけなく寝台から垂らされた腕の上で揺れている。夢の中で彼女は黄金の国にいるのだろう。その金の髪が幻影都市の片鱗だった。彼女の髪から黄金の川が流れている。

南からの風は暖かい。彼の湿った息と同じ。オレンジの香が漂い、人々は午睡にまどろんでいる。軒先では鶏が落ち穂を啄んでいる。皆が眠った午後は静かで、風さえ吹くのを止めたようだ。声もなく争いもない、そんな国に行けたら。彼と一緒に。

彼女を連れて逃げようか?華やかに火の中へ崩れていく国から逃げて遠くへ。西へ西へ、太陽の沈む方向に長日月歩き続ければ、辿り着くだろうか。金の川の流れる国へ。

見えない目を抱えて、蝕まれた胸を抱えて、逃げ切れるものなら。二人だけで、南から西へ。お互いの長くのびた影だけを供として、最果ての国で二人で生きていけると---。

そんな夢を見た。夏の日の午後だった。弾丸の飛ぶ音、硝煙の匂い、土煙、怒号、悲鳴、怨嗟、血。そのようなものに塗れながら、夢を、見ていた。青い空を、片隅をかすめる白い鳥を見上げながら、身体を無数に貫く鉄の痛みを感じながら。

叶わぬ夢を見る。

夢見た魂だけが還っていく南へ、遥か西へ。風にのり、何処かへと散っていく。

 

END