黒髪

――火にまかれる夢を見た

 

初めて剣を持った時のことを覚えている。幼い手に余るほど重く、熱かった。一瞬、柄を持った掌が焼けて爛れる気がした。私は怯んだのだろう。まだあどけない子どもが、手にした異物の真価を知るはずも無いのに。

それは連綿と伝わる武家の名誉であり、殺戮の道具でもあった。

怯んだ私はそれでも、父の前で膝を屈してはならないことを判っていた。私はこれを生涯の友としなくてはならない。一度振るえば後戻りはできない。皮膚が焼け焦げる怖れを抱きながら、私は柄を握りなおした。白く柔らかな指に、余りに不似合いな鉄の塊。腕に全身の力をこめ振りかぶる。次の瞬間、鋭く空気を斬って刃が降ろされる。その時私は確かに、胸の昂ぶりを感じたのだ。剣を振るうことの、喜びを。

それから幾度も、数えきれないほど剣を振るってきた。最初は父、剣術の教師、遠い村から呼ばれてやってきた一つ年上の剣の相手。私の身体は次第に、幼いながらも剣を持つためのそれに変わっていった、背中の筋肉のどこを使えば、相手の剣の重さに耐えることが出来るのか。剣を跳ね返すとき、腕をどう捻ればいいのか。目の前の相手を――敵を――倒すための術を身に着けていった。

しかし一つ年上の少年は違っていた。彼は私の剣を受けながら、その身に絶え間なく痣を作りながらも、ひたすら守るために振るっていた。私はそれを奇妙に感じた。剣を持つことはすなわち戦うことだ。戦う限り目指すのは勝利だけ。そのはずなのに、彼は違う。何故。私には判らなかった。

父は戦うことを、戦い続けることを私に教えた。それに異を唱える者はいなかった、剣を振るう者は皆同じと思っていた私は、初めて己とは異なる価値観の相手に出会った。私にとって初めての他者。
彼は剣を振るっても、戦ってはいない。私を相手を敵を倒すのではなく、守るために。何を守るのだろう。幼かった私は躊躇うことなく彼に尋ねた。

――君のためだよ。答えた彼の、その微笑みが。

早朝窓を開けるように、私は目覚めた。卵の殻が全て割れ、世界の色が変わる。この世界は、私が見ているより広い。空の彼方の、さらに向こうへと続いている。彼の簡潔な言葉がそれを教えてくれた。

神話の中で最初に鉄を打ち、業火で剣を鍛えたトロールは知っていただろうか。鉄の刃は切り裂くだけではない。火は焼き尽くすのではなく、人を暖めるためにもあると。

 

 

 

私の手には再び刃がある。これも火で鍛え上げられたものだ。あれから私は剣を手放すことはなかったが、守るべきものは常に眼前にあった。それを知らしめてくれたのは、彼。その彼の首筋に刃をあてる。剣を振るうときと同じような、鉄が空気を切り裂く音がする。彼の命の一部が私の足元に落ちる。
幼い時、彼の髪は肩の上で揺れていた。時折触れたそれは柔らかかった。剣を持つ前の私の掌のように。しなやかに肩から落ちる黒い髪を私は断ち切る。髪は音もなく払い落とされ、ただ刃が翻る音だけが部屋に響く。彼は心持ち目を伏せ、全て私に委ねていた。

ふと私は躊躇った。彼は最初から、出会った時から私を信頼してくれていた。幼かった私はその価値に気づいていただろうか。私を守るために剣を取る、そう言ってくれた彼の、髪は断ち切られていく。その髪の長さの年月を、私は贖うことが出来るだろうか。躊躇い手を止めた私を、彼が無言で促す。

鏡の中で彼は幼い時と同じように、肩先で跳ねる髪をしている。私は切り揃えられたばかりの黒髪に触れた、柔らかかった。
――お前のためだから
振り返って微笑む、その目元は出会ったときと変わらない。

鉄は火に焼かれる。火で形を変えられた刃を持つ者は、容易く他者の命を奪うこともできる。その火は私の手にも移り、私はいつか、誰か、大切なものを再び切り裂くかもしれない。そのことを忘れてはならない。
足元に散らばる残骸をひとふさ手に取った。小さく布に包み、胸に入れる。決して離さない、戒めを忘れないために。彼の命の一部を私に移す。

 

私の身が業火に焼かれる時が来ても、そのひとふさの黒髪だけは失われず、輝いているだろう。

 

END