虚ろな美

 

美しさは空洞だ。視線を拒むのものは美しさではない。美しさが相対である以上、人に見つめられない美しさはない。美しい者は全てを受け入れる。さりながら、彼女は拒んでいた。視線を彼女の表面で凍らせる術を知っていた。

彼女を見つめる者は、彼女の拒否に合い動揺する。美に跳ね返されることに慣れていないのだ。氷河のような彼女の美。触れるだけで己の指が切り落とされる恐怖に誰も近づかない。氷の花は崇めるもの。語られるが触れる者も偶像を刻む者もいない。ただひとりの男を除いて。

その男だけが恐れもせず、ただ静かに歩き近づいた。彼女が拒まなかったのは男が盲いていたからだ。左目に細く白い傷痕があって閉じられ、右目は黒髪に隠れていた。

彼らは木の下に並んで腰を下ろし、長い間語り合っていた。やがて日が陰り風が冷たくなると男は立ち上がり、彼女に手を伸ばした。彼の手を取った時、夕方の風が舞い上がり黒髪を翻した。右目は開かれていた。彼女は驚き離れようとしたが、握られた手は熱く、凍ってはいなかった。彼女は自身の中の火が男に燃え移ったことを知った。

氷の花の中には火が燃えさかっている。彼女の美しさが空虚ではないことを男だけが知っていた。彼女に触れても凍らず、彼女の火にまかれても燃え尽きない男。右目の黒い虹彩の中に彼女は飲み込まれてしまった。彼女の碧い両目にも彼が入り込み、彼の唇が近づいてくる。彼らは抱きあう。彼女が彼の傷痕に口づけし、彼が彼女の瞼に唇で火をつける。氷河は溶け、地は洪水と燃える炎で包まれた。

美は空洞である。虚ろな洞の中へ流され燃やされる人々を飲み込み、美は完成する。