世界が明日終わるとしても-20

 

――私は軍人であるべきだろうか。

「フランスの消せない汚点となります」
「フランスの国体に公然と歯向かっている国民議会こそが汚点だ」
准将ひとりが抗弁したところで、命令が覆る訳も無かった。歯噛みするオスカルを部屋に残してブイエ将軍が去ると、オスカルは卓上のインク壜をなぎ倒した。
なんという無力、なんという虚しさ。

しかしオスカルは顔を上げ、兵士一人一人の眼を見ながら命令を下した。彼らの動揺が伝わってくる。兵達も平民議員を支持しこそすれ、排除などしたくないだろう。議場前に集まった民衆から罵詈雑言を浴び、唾を吐きかけられるのは命令した士官ではなく彼らだ。
だからこそ指揮官は揺らいではならない。。兵の苦悩を引き受ける覚悟が無くては、指揮官などできない。部下の命を預かり国の命運を左右する、その覚悟無くしては。
――軍人であるのなら、軍人として生きるつもりなら、目を逸らしてはならない。だが・・いつまで。
オスカルは一瞬、空を仰いだ。夏の薄い雲の隅に一羽の鳥がかすめて飛んだ。

 

「いないんですか?」
カフェに着いたアンドレは、戸が閉められていることに驚いた。これまで店主は、自身が倒れた翌日でも店を開けていた。店を開け、集う人通り過ぎる人の中に妻を探すこと、それが店主の生きがいであったから。しかしかけた声に返答はなく、彼は店主の家に向かった。

教会が打ち壊されてから神父は体調を崩していた。愛する教会を守れなかった悔いは重く、守るべき孤児達がいることでかろうじて気持ちを保っている。その子どもらはアパルトマンでひっそりと暮らしていた。
三部会への期待が急速に失望へと変わっていく状況が、収まるとは思えない。これ以上の暴動・・いや、このままでは“革命”

そうなれば・・。
子ども達を早くパリから逃がして。いや、そうじゃない。考えを逸らそうとしても無駄だ。革命ならば民衆と王室、どちらかが倒れるまで終わらない。遠からずこのパリで軍隊との衝突になる。その時・・・その時には。王の軍隊と民衆という、深い河の両岸で対峙するのか、彼女と。
身分という、越えられない壁があった。それ以上に深く深く傷つけた罪があった。そして今度は、敵として。
――彼女と俺が同じ場所に立つことは、あるのだろうか。
愛していると気づいた時から、常に考えていた。生れ落ちた瞬間から、歩む道が違う。どれほど近しく傍にいても、見えない断絶がある。それは彼女や己の中にあるのではなく、この国に王という表象に人の心の中に、拭いきれない差別、嘲弄、蔑視が。広場で叫ぶ扇動者達は、生まれで人の優劣はない、平等である、あるべきだと言う。人々は虐げられた苦痛をはらすべく、群れを成して施政者に襲い掛かる。
会いたい、今お前に会いたい。会って・・・。

――共に生きたい。
彼は空を見上げた。白い鳥の羽が光ったように見えた。

 

混乱した三部会を議場閉鎖によって治めるという目論見は破綻した。打つ手が全て裏目に出ていることを、政権側も認めないわけにはいかなかった。
「余は、国民議会を認めない」
神に叙せられたはずの国王が声を張り上げても、冷たい沈黙が帰ってくる。現実の王を見下し、己の権勢を強めることだけに腐心していた貴族達は、ようやく差し迫る危機に気づいた。なんとかしなければ、今ここで食い止めなければ、王を頂点とする貴族支配が崩れ、不気味な力を持つ平民に逆に支配される日が来る。見下し蔑み搾取してきた、民衆に。
彼らに王の威光が通用しないのならば、とる手段はただひとつ。
「ブイエ将軍、そなたに命じる。国民議会を解散させよ」

「軍隊が、こちらへ向かってくるぞ」
「早く扉を締めろ、閂をかけて」
「私が行く」
「危険です、ラ・ファイエット将軍。ここに武器はありません」
「平民議員は奥へ」
「どの隊だ」
「近衛です」
「何故近衛だ、衛兵隊やアルバート連隊ではないのか」
「しかし、あれは確かに」

「ジャルジェ将軍、ブイエ閣下からの伝令です。衛兵隊B中隊の隊長は命令を拒否。部下25名も反逆したため投獄。鎮圧は近衛が向かっております」
「・・・了解した」

「アラン、これで良かったんだよな。俺は・・俺は昔スープを分けてくれた隣りの人を撃ちたくない。一緒に遊んだダチだっている。そんなのは・・嫌だ」
「ダチだってお前を撃ちたくないだろうさ。同じ撃たれて死ぬなら、命令されただけの知らない奴のほうがいい」
「でもそいつらも同じフランス人だぜ。どうしてそんな命令がきける」
「そいつらには・・ジャルジェ隊長がいなかったんだ」
「・・・隊長」

ここで終わりか。いや、まだ終わりではない。終わらせるわけにはいかない。彼らを助けなくては。今まさに近衛に鎮圧されようとしている平民議員、そして命令に背き反逆者となった部下達。迷ってる時間はない。ブイエ将軍が部屋を出た。残っているのは五人、扉に鍵はかかっていない、走れば数歩だ。突破できるか。
「・・アンドレ!!」
足を捕られた。私はどうして彼を呼んでいる。転んだ兵士の銃がある、今だ。
「くそっ、逃がすな」
振り返って一度だけ扉を撃つ。威嚇だがすぐには出てこれまい。肩が熱い、掠っただけだ。この兵舎は古く、廊下は狭く暗い。あの扉の陰まで行けば。
「外だ、外を探せ。厩舎だ」
左肩が痺れる、大丈夫だ動く。アンドレ・・私の馬はすぐ裏手にいる、厩舎を探しているなら、もう少し時間がある。アンドレ・・・アンドレ、何処にいる。
―――今、お前に傍にいて欲しい。

 

考えこみながら店主の家へと広場を横切ろうとしたアンドレは、群衆の渦に巻き込まれた。
国民議会へ兵が向かったぞ。彼らを助けろ、王を打倒しろ、貴族を倒せ――倒せ。口々に叫ぶ殺気だった人々は、雪崩を打って国民議会の会場へと進んでいく。その人々が向かう先を、白い馬の影が飛ぶように駆けて行った。なんとかここから離れなければと足掻いているアンドレの視線の先に、見覚えのある人物がいた。
「どうして、こんなところに」
「アンドレか、お前も一緒に行こう。俺達の議員を助けるんだ。軍隊を止めないと平民議員が皆殺しになる」
「そんなことは」
国王はそこまでの強硬手段はとらない、そう言いたかったが、人波に押され満足に話せない。
「いったいどうしたんです?店が」
「もういいんだ、終わりだ。女房が死んだんだよ、親戚が知らせてくれて・・もう俺には何もない」
「そんな」
「店の奥で人が通り過ぎるのを見ているだけの人生は、もう嫌なんだ。ロベスピエールやサン・ジュストも言っていた。何もかも全部潰して焼き尽くす、そうしなければ未来がない。俺は行く」
店主は彼を振り切るように、人波の中へ進んでいく。
「待ってください!」
「俺を生きさせてくれ!!」
―――それは違う!
血走った眼をして遠ざかっていく店主を呼び止めようと叫んだが、声は空しく響くだけだった。

生きたいのではなく、生きることに絶望したから、この渦へ身を投じた。ここにいる誰もが、何かに絶望し焼き尽くしたいからこそ、その怒りを火に変えている。
路地に逃れたアンドレは、群衆に押され痛む肩を庇いながら立ち上がった。暗くなっていく空は厚く灰色の雲に覆われ、やがて大粒の雨が落ちてきた。叫び膨れ上がる群衆の上にも。

 

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