女のいない男達

それは扉の向こうの世界。王と王妃、王族、大貴族、それらに付き従う者も“貴族の血”という鍵が無ければ、扉を開けられない。
―――俺は其処にはいない

「女性ならば、ありえる。・・・夫人や前国王の・・夫人。時には国王以上の力を持った。しかしそれは王の威光があってこそだ。彼女たちの力は結局王に依存している。そしてその王を頂点とした男の世界は血の裏付けがなければ、一歩も進めない」
「貴方様は充分に備えていらっしゃるでしょう」
「貴族社会で上に進む力ならば。しかし結婚となると別だ」
「・・・それでも」
「君も判っているはずだろう。相手が他ならぬ彼女なら、並みの婚姻ではないと」
「ええ」
「この超大国フランスで、王を守る近衛の頂点に立つ女性連隊長。国外の人間でも名前を知っている。彼女は何処へ行っても一挙手一投足を見つめられ畏怖される。その彼女と結婚するのは月を射落とすようなものだ」
「月は射抜かれても地上に落ちはしません」
「だが、彼女は人だ。どれほどその存在が重く大きくても」
「ご自分ならそれに耐えられると思っておられる」
「・・自分の為に耐えるのではないと思えば、耐えられるものだろう」
「しかし月は孤高に輝くもの、人の腕で支えられるでしょうか」
「私はその重さに相応しくないと言いたいのか」
「相応しいかどうかではなく、月が地上で輝くのかということです」
「月は・・いや、はっきり言おう。オスカル嬢は」
レースの袖飾りの男は酒を煽った。琥珀色が精緻な袖に染みを付けたが気にも留めず、酒を流し込む自棄な仕種すら優雅だった。
「私を選ばないと?」

今度は黒髪の男が酒を煽る番だった。僅か俯いた髪の間から覗く右眼に暗い光がある。しかし端正な横顔の表情は崩れなかった。
「選択の余地はないでしょう。貴族の結婚は当主に絶対の権利がある」
「心の問題だ」
「心など、月より捕らえられない。貴方様も私も」
「本気で・・・言っているのか」
「はい」
「ならば!」
眉を逆立てて、袖飾りの男は立ち上がった。赤銅色の絨毯に椅子が音を立てて倒れた。
「君達の間にあるものは何だと言うんだ」
「・・・・・」
「言ってみろ!」

 

 

「・・・・言葉には、できないものです」

 

 

「・・そうだ、それこそが」
隻眼の男が立て直した椅子に、敗者が崩れるように座り込む。
「私がどれほど望んでも、決して手に入らないものだ」
「しかし、私達は間違っています」
「何をだ?」
「彼女は月ではない、自ら輝くもの。冬のオリオンであり、夕暮れの金星。月よりもなお、手が届かない」
「確かに」
袖飾りを揺らしながら、男は杯を掲げた。その顔に苦い微笑が浮かんでいる。
「貴方様は望んでも手に入らないとおっしゃられた。私も同様です。どれほど・・血を吐くほど、月に身を投げ出すほど望んでも届かないものはある」
「お互い様という訳か」
黒髪の男にも苦い笑いが浮かんだ。

今日は失礼するよ、この様な無様に酔った醜態をあの方に見せたくないのでね。見送りは結構、君からの哀れみは最も望んでいない。そう言って去る男の足取りは乱れていなかったが、背中はひどく凍えて見えた。

――哀れみなど無い、と言おうとした。あの男は俺が決して足を踏み入れられない場所にいる。だが・・手が届かないものを望み、足掻き、怒り、行き場のない想いを抱える。それは同じなのだ。何一つとして似たところのないあの男と、同じ女に捕らわれているという唯一点は。

 

 

ひとつしかない眼で月を見上げる男は、そのまま佇んでいた。弱い男達、恋に絡めとられ、女の為に己を投げ出す男達。己の弱さを知り、恥じ入り、膝から崩れ落ちても求めることを止められない者達。

彼らの上には無慈悲に輝く月と、冬の青い星が揺らめいている。その青い星が地上に落ちてくる日はあるのか、知る者はいない。

 

 

END