雨に包まれる

 

明け方に見る夢はどうしていつも

少し寂しいのだろう

 

夏だというのに雨の日が多い。
「今年も凶作になる」
ひとりごとのような私の言葉を、傍らの彼は静かに聞いている。
「これで三部会が瓦解すれば、どうなるのか・・恐ろしい」
「今は、眼前の警備に集中する時だ。これ以上気に病むな」
彼は馬の背を返して私を促す。
「そうだな・・」

私達は篠突く雨の中を兵舎へと向かう。そぼ濡れた軍服は重く、厚い毛織の中まで水滴が染みこんでいる。兵達も濡れているだろう、彼らの軍服は士官のそれより荒い。
「兵舎へ帰ったら、少し早いが次の隊と交代するように伝えてくれ。これ以上隊員を疲弊させたくない」
「ああ、伝えておく」
私に出来ることなどこの程度だ。頻発する暴動と荒れる議会の為に、鎮圧と警備に駆り出される衛兵隊の疲労は激しい。
「だが、オスカル」
「何だ」
私を名前で呼ぶのは、今ここにいるのが二人だからだ。その為だろうか、隻眼が常より揺れて見える。
「まず、お前が少し休め」
「しかし・・」
「司令官が先に倒れるつもりか」
彼の右眼がはっきりと揺れていた。
「わかった・・そうしよう、お前も交代して休んでくれ」
私は彼の眼を見ないようにして、鐙を蹴った。顔にあたる雨が痛い。

兵の交代と警備順の変更を大佐に伝えるよう彼に頼み、廊下を歩いていく。誰もいない隅で立ち止まり、俯いて口を塞ぐ。喉の奥、肺の中ほどから苦い味が上がってくる。薄い皮の手袋に小さな染みが付いた。雨の水滴に滲んで、赤黒い染みは薄まっていく。

辿り着いた司令官室の扉を後ろ手で閉めた時、その場に倒れ込みそうになった。だが、隣の執務室で誰かの気配がする。聞こえるのは窓を強く叩く雨の音だけ、声はしない。私は何故か足音を立てないように、開け放たれた隣室の扉まで歩いた。果たして其処にいたのは彼で、重い軍服を脱ぎ布で身体を拭いている。
「司令官室だぞ」
彼は驚いたように振り返り、ふっと笑った。
「悪い、寒かったんだ」
彼の一瞬見せる、寛いだ笑み。私はその時、何かを思い出しかけた。確か彼が昔・・。
「まあ見逃してやる、着替えたら早く休め」
私は手を上げて踵を返した。明日の朝までに警備の計画を立てなければならない。
「オスカル」
呼ばれて振り返ると、彼が乾いた麻布を手渡してきた。
「お前も休め、約束しただろう」
布を受け取る時、触れた彼の手は暖かかった。そうだ、彼の手はいつも。
「昔・・・」
「なに?」
「今、思い出した。昔、雨が好きだと言っていただろう」
「そうだったかな」
「朝、まだ夢から覚めきらない時、雨の音が聞こえてくる。屋根裏の窓を叩く音に耳を澄まして、眼を開けずに暫く、雨音を聞いている」
―――そんな朝が好きなんだ、だから雨も好きだよ。

私は雨が嫌いだった。剣の稽古が捗らない、遠乗りにも行けない。でも彼がそう言ったから、試してみた。掃き出し窓のガラスに雨があたる音、目覚めているけれど眼を閉じたまま、身体の半分は夢の中で、瞼の裏だけ覚めようとしている。雨音と夢の片鱗が溶け合い混じって、彼の手のように不思議に暖かく、少し寂しい。

ひとつ開けると、思い出が零れ出てくる。痩せた小さな少年だった、大きな黒い瞳が少し不思議だった。
「私達は・・とても長い時間をかけて、此処まで来たんだな」
私達は、少年と少年だと思っていた少女ではなくなった。身体も、違いすぎるほどに異なってしまった。しかし、あの時の少年は今も彼の眼の中にいる。

 

彼の大きな手が、私の頬の水滴を拭っている。冷えた身体の、そこだけが熱くなっている。
「さあ、もうお休み・・・明日の事は思い煩わなくていいから」

 

仮眠室の寝台に横たわった私は、眼を閉じて雨音を聴いている。頬に残る彼の気配に包まれ眠りにつく時も目覚める時も、雨の夢を見る。その夢はきっと―――少しだけ、寂しい。

 

 

END