美しい人

何故美しいのか

 

官能が彼女の中で花開いたことに気づいた時、最初に感じたのは怖れだった。初めてその白い胸に触れた晩、心臓が掌の下で嵐のように波うっていた。硬く閉じられていた眼が、うっすら開き、常の青い瞳が黒く見えた瞬間。彼女の中に確実に芽生えた其れ。

開かせるための水は汗の一滴で足りたのだ。しかし気づいた時はもう、足を捕られていた。唇を合わせて呼吸のリズムを同じにする。お互いの髪を薬指の爪に絡ませる。耳元に息を吹きかけると膚が泡立つ。身体の奧から熱が上がってきて、眼の裏が圧され苦しい。何も聞こえないほど鼓膜に響く、血の流れる音はどちらのものか。

名を呼ぶと、今度ははっきりと瞳が開かれた。その青を数えきれないほど見ていたはずなのに、この揺らめく赤は何だ。手に取って割ったばかりの柘榴の実のような深紅。唇と歯の合間に垣間見える舌先。その動きが誘っている。

―――彼女の底知れない美しさを、よもやこの腕の中で咲かせようとは。

恐ろしさに折れるほど抱きしめる。それ以上の力で、彼女が俺の肩を抱く。せわしなく動く指先が言う。此処へ来て、もっと探って。息を止めたまま、真珠の胸を貪り、背中の羽の骨を嚙み、氷河のような腰の線を唇で覆っていく。昼の暑さを残した夏の夜に、汗が混じる。脇腹に溜まった其れで溺れそうになる。

もうこれ以上裂かないでくれ。お前は俺を貪り食って、赤い花を咲かせようとするのか。肩と胸元に散らばった金の髪、閉じられた瞳を縁どる睫、左肩の弓なりの白い傷痕、尖った骨が見える肘、汗が流れ落ちる鳩尾、柔らかな腹部の丘陵、その奥の深い場所、滝に落ちる鳥のような細い声。彼女の美しさが心臓から流れる血と共に表層に出てくる。

哀しい辛い苦しい息をするのさえ身が崩れる、それ以上咲いてはどれだけ望んでも遠くに行ってしまう。離れないでこのまま腕の中にいてくれ、でももう――――――花開いてしまった。

アンドレ――――――――!
高く上がったその声で、お前の全てが開く。

 

そのまま、意識が遠のいた。抱いていたはずの女は無数の花弁になって散ってしまった。あとには花びらだけがはらはらと、天上から舞い落ちる。

 

空が白みかかる頃、二人とも人の形に戻っていた。夜は終わったのだ。触れれば傷つき血を流す人間に戻り、戦いの場に進まなければならない。開いた官能の花の残り香は、彼女の首筋に残っていたが、俺はそれを拭うことはしなかった。

彼女の美しさと哀しみと覚悟と痛みと喜びと愛とを、もう十分に知ったのだから。俺の命が尽きるまで、消えることはないのだから。だから、どこまでも共にいよう、生きよう。

 

 

二人で。

 

 

 

 

END