謎-美しい人Ver.2

 

何故美しいのか

彼女の美しさは、男達にとっての謎だった。何故、男でも女でもないままに美しくいられるのか?

 

男達は女の美しさなら知っている。媚態、誘う扇、赤く塗られた唇。そういった花々ならば、近寄り戯れに手折ることもできる。しかしレースの色どりのないままで美しい者に、どうやって近づけばいいのだろう。万一、傍までいって触れたとしても、氷の表面に拒まれることは目に見えていた。

男は謎を怖れる、受け入れられないことを怖れる。宮殿の中で、何万という男達の中で、彼女への欲望を口にする者は多くとも、近づく者が限られていたのはその為だ。

彼女もそれを知っていたからこそ、氷の花を演じていた。溶けぬ永久凍土の彫像でいる、それが身を守ることを。しかし氷柱の中の魂が 火の鳥であることに気づいた男なら、その氷ごと抱きしめたいと望むだろう。氷を溶かし、燃える魂に直接触れ、共に燃え上がり灰になることを。
後はお前に頼む、そういって去った彼女を。お前のような男に会いたかったのかもしれない、と謎めいて呟いた彼女を。名状しがたい感情と共に、愛さずにいられなかった男達は夢に見ただろう。

 

彼女が花開く瞬間を。

 

それはほんの、汗の一滴で足りた。

幾度目かの夜の事だった。彼を見下ろしている彼女の顎の線から、一滴の汗が流れて落ちた。細い髪は額に張りつき、息苦しさから僅かに開けられた唇。その横を通って、汗が彼の喉に落ちた。

水滴の落ちる僅かな音が聞こえたはずもない。しかし水の冠が彼の膚で跳ねた時、彼女の身体が突然震えた。鳩尾から振動が伝わってくる。膚が風に煽られた様に泡立つ。握りしめていたお互いの指が折れるほどに、力が入る。
――あっ・・・・
声と共に首がのけぞり、繋がっていた身体のが芯が収縮していく。血が全て中心に集まり、手先は痺れて冷たい。眼の裏に火花が飛び、耳の中で雷鳴が響く。震えは中心から爆発し、身体を飲みこんだ。繋がっているところから内臓が揺らされる。波は何度も押し寄せ、その度に息が止まる。あらゆる関節が軋んで砕ける、口を開いても声は出ない、息も吸えない、涙が滲む、背中が痛み、痺れる、砕け・・・・・。

その時、彼の身体も跳ねた。捕らえていた腕が汗で滑り、彼女が倒れ込んできた。一瞬、衝撃で息が止まる。反射的に崩れる身体を支え、二人で寝台に沈み込む。その間も衝撃と波は何度も揺り返す。互いの背中に指を立てるようにして抱き合い、かろうじて寝台の上にとどまった。

波は次第に弱くなり、二人はそのまま漂っていた。彼女は急激に開いた感覚に放心していた。そして彼は怖れていた。

 

初めてその白い胸に触れた晩、心臓が掌の下で波うっていた。硬く閉じられていた眼がうっすら開いた瞬間、彼女の中に確実に芽生えた其れ。氷の彫像と呼ばれ、時に周囲を焦がすほどの熱を見せる彼女。その上に更に、官能という花が咲く。漏れ出る香りが周りに気取られないだろうか。男でも女でもなく、どちらでもあるその均衡が崩れる危うさが。

重苦しい想いに捕らわれていた彼の頬に、触れるものがあった。汗を含んで僅かに重い金髪。彼女が上体を起こし彼の眼を覗き込んでいた。

彼女はまだ自身の身体に起こった変化に戸惑っていた。幾晩も探るように深めていった感覚が突如、雪崩を打って開かれた。驚き、怖れもしたがただ、どこかで当然のように受け止めていた。この感覚を得ることを知っていた。初めて抱きあった時から、遠からずこの瞬間が訪れることを。

彼女は彼の頬を両の掌ではさみ、閉じた左瞼へキスした。それから彼の鼻梁へ、口元へ唇を滑らせてから、彼の唇を包んだ。吸うように一度軽く、それから深く押し当てる。自然と緩む彼の唇を割り、絡む舌を捕らえて、強く吸い上げる。彼の身体が痺れたように震え、腰を捕らえていた指先が食い込むほどに力が入る。掴まれた痛みより、彼を震わせている歓喜が勝った。

吸う力をわずかに緩め、歯で彼の舌先を噛む、離す、唇で摘まむように何度も挟む、綺麗に並んだ歯をなぞる、再び吸う、青いまま摘んだ若葉のような味がする、ざらつき蠢く舌先を追う、捕らえる、もっと深く、もっとお前を知りたい、溺れさせたい。

彼女に呼応して彼の舌も彼女のそれを蹂躙していた。吸う音と息遣いが静寂に響く。一度引いた波が、次第に高くなっていく。お互いの膚の上を探る手が、再び流れ出した汗で滑る。いつの間にか、彼女にかぶさっているのは彼の方で、滲んだ涙で霞む視界に、相手の瞳の中に映っている己が見えた。

この瞬間が何より愛しい。自分が小さくなって、青い/黒い瞳の中に入ってしまう。お互いしか見えていない、もう其処から出たくない。

波が高くなり、微かな痛みを伴って身体が繋がる。お互いが口づけしないところ、触れていない箇所は無くなって、抱き合う腕の力と熱さが苦しい。同じリズムで揺れる身体は跳ねていく。溺れるような息が口づけで塞がれる。のけ反った喉の、柔らかい筋を噛む。声にならない声が上がる。

―――オスカル・・ッ
耳元で聞こえない声で名前を呼ばれた、その瞬間目の裏で爆発した。

 

何故、美しいのだろう。

彼女は、あるいは彼は、変わらず謎のままだった。官能の花を咲かせたまま、氷の彫像として歩く。漏れ出る香りも気づかないような、毅然とした後ろ姿と恋する男たちは目で追う。
男でも女でもないまま、艶然と微笑む人。しなやかに歩き、力強く手綱を引く。風に揺れる金髪の、その光を目で追う者は多い。彼女を見つめる男達は、彼女を崇める女達は知らない、気づこうともしない。

 

彼女の美しさの源、魂と、その愛を。

 

知るのは、ただひとり。ただ、ひとりだけ―――――――――。

 

 

 

END