私の男

 

お前は私に出会わなかったら、今のお前という形になって生きていただろうか?

 

「きっと違っただろうな。もっと・・」
「穏やかで平穏な、お前に相応しい人生だった」
お前の指、お前の耳、手首、項、全部違っていただろう。私と出会って、私と共に生きて、今お前が此処にいる。私の腕の中に。
「・・オスカル」
「時折、考える。お前が故郷の村で成長する。私はひとり、日々剣の稽古を続ける。そのまま私達が出会うことなく、別の人生・・だったら」

私はお前の耳にキスをする、首筋に歯をたてる、ざらついた皮膚は辛い。背骨の上に爪で痕をつける。手首の骨にも同じように。左手の親指の付け根には、昔の傷跡が白く引き攣れている。私が木から落ちた時、受け止めた痕だ。そこには歯をたてない。
「お前に出会わない私の人生は、どうなったのだろう。士官学校も近衛もひとりで歩いた。振り返って、誰もいないことに、寂しさを感じたかもしれない」
「どんな人生であれ、お前の後ろには俺がいる。出会わないことはないよ」
「どうして、そう言える?」
「お前に会うために、探しに行くから」

微笑む彼の心臓の上に掌をのせて、波打つ感触を味わう。この規則正しい動き。これだけ・・これだけは決して破ってはならない。どうしたらいい?鉄の甲冑で覆う?石膏で固めてしまう?それとも、私がずっと彼を抱きとめていて、あらゆる災厄から守ろうか。火薬も槍も病苦も死神も、彼に近づけないように。
「それは、俺も考える。お前を・・」
彼の指が私の目元を拭う。伝った涙が、彼の裸の胸に落ちる。
「金の籠に閉じ込めて覆いをかけ、誰の眼にも触れないようにする、歌声で悟られないよう、喉を潰すかもしれない。でも・・」
「私なら籠を破って飛び出すだろう」
「違いない」
お前の羽は誰にも折れない、俺でさえ・・。彼が眉を寄せて苦し気に言う。それでも私は彼を解放しない。肩を押し、重さをかけ、何処へも飛んで行かせないようにする。
「お前は・・私のものなのだから」

私が呪われた吸血鬼ならばよかった、彼に永遠の命を与えられる。もしくは運命を決定する女神、彼だけを全ての災厄から逃れさせる。私がもっと強ければ、愚かでなかったならば、お前の光を半分失わせることも無かったのに。だから、私はお前の命を守る。私に出会って私を愛して私に捕らえられたお前を。
「・・死んだりしないさ」
彼が息を荒げ、熱を帯びた声で言う。
「どうして」
今、この瞬間、私は彼が憎い。何時、何処で、どのように死を迎えるか、誰にも分かるはずはない。どうして分かる?私がお前の死を見ないと、どうして言い切れるんだ。
「お前が、悲しむから・・決して、置いていったりしない」
その声、表情、乱れて顔にかぶった黒髪、引き攣れた左の傷痕、白く濁った瞳、闇と同じ眼、私を見上げて私を愛している、その。
「ッ・・ア・・・」
私達の身体が震える。汗がお前の上に落ちる。もう言葉は出ない。血が熱すぎてはじけ飛びそうだ。硬く閉じた瞼の裏が、火花のように赤い。お互いの指を絡めている掌は、炙られた鉄のように溶けてしまう。爪が食い込んで、血が。彼の・・決して流してはならない血が・・・私の指を染めていき、私の中を駆け巡る。私の・・・・愛しい、男。私の――――アンドレ。

「・・・苦い」
彼が、血で染まった私の指を咥えて、呟く。
「お前の血も・・」
浅黒い熱い手の甲の、細い傷を舐めながら私も言う。
この色を、この苦さを、忘れないでいよう。もう二度と、この血を流させてはならない。

 

お前が約束したから、私はお前の死を見ない。私に作られたお前なのだから、当然だろう。お前は私のもの、私のものがお前。だからお前の為だけに生きてお前だけを愛するよ。お前だけを目に映しお前だけにキスをする。だからどうか・・どうか私の中に入って私の血の中に溶け込んで。そうしたら、決して離れずにいられる。未来永劫ふたりが分かたれることはない。そうして欲しいんだ。
ただ・・・お前の死を見たくない私の為に、

 

そうしておくれ

 

 

 

END