雨の匂い

私は彼らを見ることができるけれど、彼らは私に気づかない。彼らの声を聞き、熱い息遣いを感じることもできる。石畳の上に彼らが残した靴跡を辿ることも。でも彼らは私の存在すら知らない。

私はいつもいつもいつも彼らの背中を追い、手を伸ばそうとするが、決して届くことはない。彼らの間の濃密な空気、躊躇いがちに繋がれた手の震えに私は焦がれる。

私の覗き込む鏡には私ではなく彼らが映る。反転された彼らの横顔、その微笑み、お互いの瞳に映っている様子。彼らは彼らだけで幸福なのだ。

どうかそのまま幸福でいて欲しいと願う。泣かないで、嘆かないで、苦痛など感じないで。私が彼らの痛み全てを代わってあげるからどうか。

でも私の声は届かない。彼らの嘆き苦しみ、それを癒すことすら、できない。

 

私は通り過ぎる風、空に響く教会の鐘の音、セーヌを流れる水の一滴、路傍で萎れる花、生まれる前に死んだ子ども、雨の前の匂い、遠くの山並みの影。

 

彼らがもし、髪揺らす風に気づいたら。雨の日の匂いに、最初の一滴を受けようと手を伸ばしたら。私は伝えよう。

貴方たちの幸福を、祈っていると。