目玉の話

午後の司令官室 。紙の上にぽたりとインクが落ちた。滲むはずのインクは、不思議に綺麗な黒い円になる。
よく見ると、中央に小さなひときわ黒い円があり、周囲はまだインクが揺れている。円の外縁、白い紙との際はインクが押しとどめられ、しばらく揺らいでいたが、諦めたように黒い淵になって止まった。

――彼の眼のようだ

ひとつだけの眼。振り返ればいつも、私を見つめている。背の高い彼の右眼が、少し見下ろすように長く黒い睫毛に縁取られ揺れている。黒い虹彩は黒曜石の断面に似て、光を反射する。それでいて、柔らかく沈む沼のようでもある。その眼に映っているのは私自身だ。
声をかけようとして、一瞬言葉に詰まる時がある。どうして彼は、あのように私を見つめるのだろう。

気まぐれに無意識に、円の周り、上から細い線を描き足す。石の裂け目のような虹彩。それを縁取る睫毛。

――いつも私を見ているあの瞳。彼は何も言わないのに、何かを告げている。

手を動かすと、黒い睫毛が長く少し濡れていたことに気づく。出会った頃、彼がふと遠くを見ることがあった。丘の向こうの遥か彼方、彼が生まれ育った処を見ているのだと、その濡れた眼でわかった。彼の左眼が傷ついた日、私の眼でなくてよかった、と呟いた時も彼の眼が濡れていた。

――いつも、何か言いたげに私を見ている、あの瞳。

私は手を止めた。紙の上に現れた黒い瞳。ふたつあるはずのそれは、ひとつしか描けない。

紙を手に取り、描いた瞳にそっと触れてみる。ざらついた紙の表面に、しっとりとしたインクの感触。彼の口づけのような。触れた指先を、自身の唇にあててみる。いつも冷たい私の指が、熱かった。

 

紙を折りたたんで、卓の引き出しに入れる。ノックの音がして、返答すると彼が入ってくる。報告に目を落とす彼の瞳を見返す。ひとつだけの、かけがえの無い、黒い瞳。私の愛しい・・・。