虹藍

夏の水辺。先日降った雨のためか、水嵩が増している。しかし岩をぬって流れる水は透明で、岩肌を叩く音だけがする。

昼下がり、黒髪の少年は川辺に来ていた。小高い森を歩いてきて、喉が渇いている。清流に泥のついた手を洗い流し、両手に水を汲んで口に含んだ。喉を通る冷たさが心地いい。
正午近く、背の高い木の間から落ちる木漏れ日が水面に反射していた。森の深いところまで、ひとりで来るのは初めてだった。いつも遊ぶ川の流れが何処からきているのか、ふと気になって遡ってみた。途中、濡れた下草に足を取られ、生い茂って足元の見えない小さな崖も滑り落ちた。それでも、昇っていけば何か、見たこともないものがある気がしていた。
彼はひとつ息をつき、川辺に座りこむ。輝く木漏れ日。高く飛ぶ鳥の細い鳴き声。風が木立を揺らす音。水音。

どれくらいそうしていただろう。少しだけ浅く眠ったのかもしれない。チチ、とすぐ近くで鳴き声が聞こえ、眼を開けた。川の中程、突き出した小さな岩の上。青い鳥がいた。

鳥は岩肌の水を啄みながら、小首を傾げ、辺りを見ている。たたんだ羽根の上に、揺れる陽光が落ちている。少し水を浴びたのだろうか、羽根は濡れ、光を反射する。深い深い蒼、光が動くたびに蒼から翠へ淡い黒へ羽根の色が変幻する。

濡れて青く光る、生きた宝石。

彼は息を止め、微動だにせず鳥を見ていた。少しでも動けば臆病な小鳥は飛び立ってしまう。
鳥は水を飲み、片羽を広げて嘴でつくろう。羽根が広がる瞬間、岩の水滴が跳ね上がり、微かに小さな虹がかかる。

____触れたい
見たことも想像したこともない、鮮烈な蒼。湿った苔より深い翠。あの宝石を手の中に掴みたい。石のようにひんやりとしているだろうか、それとも確かに生きている証に、柔らかく暖かいだろうか。
____触れて、確かめたい。あの色を手の中に。
逡巡した少年が深く息を吐いた。瞬間、鳥が頭をあげて振り返る。その小さな黒い瞳。彼らは見つめあった、鳥が羽を広げる。

「――待って!」
その言葉が終わる前に、鳥は川面を羽先で叩き、煌めく水滴を光らせながら飛び立った。見る間に少年の頭上高く消え去っていく。最後の一瞬に木漏れ日が羽を青く輝かせ、残像は目を閉じられない少年の瞳に焼きついた。

待って・・待って、行かないで。
少年は飛び上がり、消えていく光に手を伸ばす。木々の向こう、青い空のどこに消えたのか、
必死に頭上を探している少年は、足元の草が濡れて滑ることに気づかなかった。視界が揺れたと思った瞬間、水の中だった。谷川の水は冷たく、深い。見上げる水面が揺らめいているその先に、光が見えた気がした。どこまでも透明で鮮やかに胸を刺す、青い光。

溺れかけ濡れ帰った少年を、母はきつく抱きしめてから暖かな寝台に寝かせた。少年はそれからも何度か川を遡ったが、青い鳥を見ることはなかった。

 

再び出会ったのは、母を亡くし、長い馬車の旅を終えた時。それもまた夏、光を受けて階段を降りてくる子どもの瞳を見上げた瞬間だった。

_____飛び去っていったあの色は、ここにあったんだ。

 

 

その色に魅了され、手に入れたいと願い、溺れるのはそれよりまた、ずっと先の話。