投稿者: wpx614201
季節の始まり
お返事など
長々続きました、アニばら語りという老人の主張w でも予想外に読んでいただいたようで嬉しいです。考察はSSとは全然違うベクトルなので頭が疲れましたが、楽しかったです。
一段落したので、またSSのぼちぼち更新に戻ります。とりあえず26日はアンドレ誕生日SS、その後にアンドレでもう一本更新予定。アンドレ祭り。
お返事
7月28日 アニばら語り原作とアニメの違い(コメント欄);
おっしゃるとおり原作とアニメでは軸が変わっています。ざっくりいうと原作はキャラクター、アニメは時代。連載時にアンドレがファン層に強烈にアピールしたため恋愛側面が強調されがちですが、根本は人間ドラマですし、支配階級と市民階級を横断するオスカルと生み出したことが最大の魅力だと思います。
7月28日 アニばら語りアンドレの最期(拍手);
オスカルもアンドレも、人生全部賭けて愛するもの信じるものに燃やし尽くした、そのことに敬意を払いたいんです。どのように死んでいっても彼らの人生の素晴らしさは毀損されるものではないので。
7月30日 夢の結晶(コメント欄);
オスカルの姉達はあまり出てきませんが、歳の違い姉達とは様々なことがあったはず。アランも生き残った者としての様々な思いがある。その交錯を描けていたらいいなと思います。完結編の本は・・もうちょっとお待ちください。
7月30日 アニばら語りアンドレの最期(拍手);
アニメに対して解釈も好き嫌いもあると思いますが、架空の物語であっても死を嘲笑する考え方には賛同できません。ふたりともそんなに浅薄なキャラクターではないと思うので。
7月31日 アニばら語り 原作とアニメの違い(拍手);
私の解釈は今回長々と述べた通りですが、それが違うと考えるのもまた自由です。ファンの数だけ各々違うオスカルがありますから。
8月2日 アニばら語り 従う発言(拍手);
私も初見の時唐突すぎて??だったんです。男尊女卑思想だからというのも違和感があり、考えた末の結論です。アニメは特に言外で表現することが多いので、見る側が読み取る幅が大きいですね。夫婦発言に関しても考えてたんですが書くの忘れてたwそのうちどこかで。
8月3日 アニばら語り 従う発言(コメント欄);
従うと言ったからってアンドレが支配側になってはいないですよね。私もそれが謎でした。夫婦発言もですが、オスカルはアンドレがおかれていた状況(従)を良しとしなかった。主従ではなくふたり一緒に新しい時代を目指すと。その宣言でもあったと思います。
8月4日 アニばら語り 従う発言(拍手);
信頼関係というのは、どちらがより信頼しているというものではなくて、相互に対等です。だからオスカルが主アンドレが従ではなく、ふたりで並んで立っているという形になる。それなり年経てから見返すといろいろ考えさせられます。
8月4日 アニばら語り オスカルの誠実さ(拍手);
特にアニメのオスカルは自己犠牲的なほどに誠実です。己を律すること、人に誠実であることを自分に課している。それを解説したりしないのでアニメは解りづらかったりたりするんですけど、でもそこがいいの。
8月6日 夢の結晶(拍手);
オスカルの姉達はオルタンス以外出てこないので、キャラクターがわかりませんが。オスカルに似たタイプの姉もいただろうと思います。
8月10日 アニばら語り従う発言(拍手);
私はアニメが好きですし、アニオスカルの高潔さやアンドレへの愛も信じているのでこういう考えになりましたが。アニメが嫌いでもそれはそれで解釈のうちですし、ファンの数だけ違うベルばらがあると思ってます。
8月14日 今回の更新について(拍手);
アニばら語り、考察向きの頭じゃないのでw苦心惨憺しましたが、意外に読んでいただいて嬉しいかぎりです。また気が向いたら呟くかもです。
8月16日 今後の更新について(拍手);
ありがとうございます。応援の声がとても励みになります。
8月16日 アニばら語り オスカルが核であること(拍手);
SSのあちこちにアニメテイストが混ざってますよねwどうしても抜けられない。これからも同じだと思います。
8月17日 深い淵(コメント欄);
書いてたらジェローデルが出てきたので自分でもびっくりw対照的な二人ですが、オスカルを愛するという点で根本は同じなんですよね。
8月17日 深い淵(拍手);
ありがとうございます!そう言っていただけて嬉しいです。
8月17日 アニばら語り アンドレが核であること(拍手);
アニメのオスカルとアンドレは主従という関係性から抜け出たという解釈です。
8月17日 アニばら語り オスカルが核であること(拍手);
仮にオスカルがバスティーユ後も生きていたら、オスカルに賛同する人も増えたでしょうが。そうなるとますます過酷な人生になりそうで、ちょっと辛い。劇場版はどうなるんでしょう。
8月19日 ありがとうございました&お返事(拍手);
お久しぶりです。同人誌まだ在庫ありますよ。今回、絶対買い逃しゼロ!を目指したので、どっさり作りましたw長編も鋭意作成中・・進んでないけど。
8月24日 深い淵(拍手);
ありがとうございます。ジェローデルって予想外の時にひょっこり出ちゃうんですよね。妙な魅力があります。
定型コメントはお返事していませんが、アニばら語りでいろいろコメントいただけて本当嬉しかったです。来年は劇場版もあるし、今後また新規ファンも入ってこられたら嬉しいですね。ご訪問、拍手もありがとうございました!
なまくら
深い淵
今後の更新について
アニばら語り、あと数回で終わります。その後、お返事とかアンドレ誕に向けてちょっと更新します。
アニばらとSSにかまけて、本の作業が進んで無いので(苦 来月は更新頻度落ちるかもですが。またお立ち寄りください。
アニばら語り オスカルが核であること
3)それでもオスカルが核であってもよかった
オスカルの核はアンドレ。しかし私はオスカル自身が核であっても良かったんじゃないかと思っています。
アンドレは貴族の元にいながら民衆側(被支配)でしたが、真の越境者はオスカルです。男女のどちらにも属しながら属さず、つねに境界にいます。支配階級に生まれながら、民衆側につきます。
このような思想運動において、外部の視点は内部崩壊を防ぐためにも必須です。自説のみに拘泥した運動はほぼ瓦解しますから、精神的核においても、越境者で双方の視点を持つオスカルを置くべきだったんじゃないかと思います。
監督はそのように考えなかったのか、1クール削られて単純に尺が足らなかったのか(ジャイアンツ戦滅せよw)わかりませんが。
いずれにせよ、フランス革命(普遍性)と全共闘(時代性)を融合した作品であり、歴史群像ドラマであったことは間違いありません。
以上、大変長くなりましたが、私のアニばら考察でした。お読みいただきありがとうございました。
アニばら語り アンドレが核であること
2)アンドレが核であること
アラン達にとって、核はオスカル。そしてオスカルにとってはアンドレが核。アンドレが見ている新しい世界を示してほしい、それに「従う」なんです。男女の支配非支配ではなく、道を示すもの=アンドレ。という構図です。そしてなぜオスカルにとってアンドレが核だったのか。
前述したように、オスカルは広い視野を持っている人でした。ロザリーと再会した時、困窮する民衆とその強さ(アニメではロザリーはジャルジェ家に戻りません)を知りました。その後アンドレの左目が失われ、オスカルは彼の目が見ている世界を意識したでしょう。
そして失明させたベルナールをアンドレが許すように言った時。オスカルはアンドレと自分の見ている世界が違うと気づきました。衛兵隊に移ったのは私を捨て義に生きるためでしたが、そこで命を担保に軍に入った兵士の現状も知ります。
身分制度の歪み、王政のゆらぎ、民衆の怒りとエネルギーを感じた。その時オスカルはアンドレならどう見ているだろうと考えた。彼の失った左目。不自由でないはずはありません。それでも傷つけたものを許せと、ベルナールは盗賊じゃない、民衆の代弁者だと。オスカルは自分とアンドレ、複眼でみることで時代の歪み、方向性を知っていった。
12日の夜、アンドレは全て受け入れたうえで、前を向いていた。彼らの愛が阻まれない、人が身分で差別されない、そういう時代が来ることを望んでいた。その時オスカルは、アンドレがずっと自分の深いところで核であったことに気づいたんです。
だから、お前が見ている道に「従う」なんです。
アニばら語り アニメの時代背景
1)アニメの時代背景
前述したように、原作とアニメの背景には六十〜七十年代初頭までの全共闘があります。私はアニばらは全共闘への鎮魂だと考えています。革命を求め、崩れて消えたあの時代への。
監督があの運動に対してどのようなスタンスだったかは分かりません。しかし七十年代が終わろうとする時、フランス革命を題材にしたアニメを作るにあたって、全共闘の空気はまだ身近だったでしょう。
後半アンドレ絡みで出てくるエピソード。アンドレが自身の目を傷つけたベルナールを許したこと、ベルナールがアンドレに民衆側につく人間だと言ったこと、衛兵隊が民衆側についた時ベルナールが擁護したこと。他にはベルナールとロベスピエールとの対立、等々。
その世代にとって、このようなエピソードはフランス革命というより全共闘運動のそれです。全共闘運動には様々なセクトがあり、その支柱となる言説なり人物なりが精神的核でした。
アニばら語り オスカルの7月14日
全て終わった、遅すぎた。打ちのめされたオスカルは民衆の声で目覚めます。朦朧として目覚めた先にアンドレが立っていた。
オスカルにはまだ公と義が残っていて、そして何より大切な私=愛する心、消えていませんでした。アンドレの幻を見るほど。
私はまだ生きている、戦える。生きる為に戦え。彼が望んだ、死の間際まで見ていた新しい世界を手にする為に。私が彼を想い信じている限り、彼はきっとそばにいる、今までずっとそうであったように。公も義も愛する心も全て私だ。
オスカルの物語はここで終わります。
アニメ後半について、特に37話以降について全然語り足りませんが、語り尽くせないんですよね。そもそも語れるなら二次小説書いてない。語りたいことはSS等で書いていますので、良かったら読んでみてください。諸々含めて数百本あるけど笑
アニばら語り オスカルの愛する心
オスカルの私(わたくし)とは、深いところで人を愛する心でした。
私的に原作とアニメの最大の違い。原作では「遅すぎなくてよかった」アニメでは「気づくのが遅すぎた」この違いは?
アニメオスカルは常に公・義を表にしています。ロザリーや王太子に対してなど柔らかく暖かな心を出す時もありますが、自身の愛する心は深く秘めます。フェルゼンに対しては王家を守る義に反するから。アンドレには傷つけたくない守りたいという気持ちから、秘めてしまう。
しかしアンドレを愛し幸福になることを自分に許した時、ようやく言葉にすることができました。それほどオスカルにとって、愛する気持ちは深く熱いものだったんです。しかしそのアンドレを失った。
「ずっと愛していたのに気づくのが遅すぎた」
オスカルの心の一番深いところに、アンドレと築いた信頼と長い年月がありました。失ってからその年月を振り返った時、いつも彼が心の底にあり、その瞬間全て愛していたと気づいたんです。
あの時も、あの時も、愛していたのに。いまその人はいない。どうして、もっと早く気づかなかったのか!泣き叫んでもその人はかえらない。だから「遅すぎた」もっと時間があると思っていた、幸福にながらえる日々があると思っていた、でも全て遅い。だから
「裏切るよりも、愛に気付かぬほうが罪深い」
「もはや全ては終わったのだろうか」
オスカルの苦しみはそれほど深い。
アニばら語り オスカルの誠実さ
軍人として揺らがない信義を持ち、また兵達の信頼を得るために誠実であること。オスカルはそういう教育を受け、公では感情をあらわにしませんし、生来の性格もありとても誠実でした。
激情を向けるのはアンドレだけです。アンドレの左目が失明した時、近衛を辞めることで争った時。アンドレに関してアンドレに対してだけ感情を露わにします。しかし愛されていることを知ってからは変わります。
アンドレを遠ざけたこと、アンドレを愛していると気づいても告げられなかったこと、これは全てオスカルの誠実さです。
愛を返せないから遠ざける、目を奪った私が愛を告げられない、戦うことを捨てられないのに彼を連れていけない。誰よりもアンドレが大切だったから、オスカルはこれ以上アンドレを傷つけたくなかったんです。目を奪い、苦しめた上、命まで危うくさせることは。
義を切り離せず戦いに臨む私はひとりで行く。アンドレは平穏に生きてほしい。しかしアンドレはこれまでもこれからも共に生きる、と言います。それでもオスカルはかつて他の男性を愛しアンドレを傷つけたことで怯む。傷つけ目を奪って命まで危うくする。彼の答えは
全て愛している。
オスカルはそこでようやく、公も義も私も抱えて生きることを、アンドレを愛して幸福になることを、自分に許せたんです。
アニばら語り オスカルの公と私
忘れられがちですが、オスカルは軍人(公)です。軍という強力な暴力装置を律するため、国を守るという(義)があります。オスカルにとって、まずは公と義があり、次が私(わたくし)
義とは国=王家を守ること、オスカルはそう教わり信じてきました。しかしやがて国=王ではないと気づく。国とはそこに生き根ざし種蒔く人達であると。オスカルは目を開けて生まれた人ですから、視野は広く考えは深い。特権階級で生まれ育ちながらも、次第にどこかおかしいと気づき始めたでしょう。
大きな転機はアンドレの片目が失われた時。オスカルは責任を感じて、アンドレの眼を、半分失われたアンドレの視界を考えた。アンドレの眼で見た世界を。それは彼女自身が見ていたのとは違う世界。持てる者と持たざる者の視点の違いです。
そうやってアンドレの眼、アランや衛兵隊士の眼で世界を見る。王や貴族が全てではなく、国とはそこに生きるすべての命あるものだと気づいた。気づいてオスカルは公と義を捨てられなくなります。それに対して私(わたくし)が相反もします。
ある時期まで公・義と私は反しませんでしたが、フェルゼンを愛したことで揺らぎます。国を守る義に反する私。オスカルは苦しんだ末、私を捨てます。(アンドレは私を捨てて生きるのはオスカルではないと止めますが)そしてその後、もう一度相反することになります。アンドレです。
雲の形
アニばら語り 従う発言
オスカルの従う発言。これもまた物議を醸している台詞。これを男性監督による男性への従属であると捉える向きも多いですが。私は別の捉え方をしています。
あの言葉の意味は「あなたに全て委ねる」ではなく「あなたを信頼する」ということなんです。
例えるなら、戦場で生死ギリギリの状況になった時、この人の信義なら信じられるという相手。アラン達はオスカルをそのように信じ、オスカルはアンドレを共に戦う人として信じている。
オスカルはどれだけ愛されたとしても、相手に人生も判断も全部委ねることはしません、それは依存です。依存ではなく、信頼。アラン達もオスカルを信じていますが、人生まで委ねていないですよね。それと同じ。オスカルはアンドレの見ている世界、望んでいる未来を信じたんです。
お前の見ている未来に私も行きたい、だから道を指し示してくれ。そこに到達するために「従う」人生を委ねるのではなく、共に戦うために。
それはオスカルの心からの望みで選択でしたし、その時のオスカルが身分の上下、男女の権力差というものに囚われていたとは思えません。ただ愛し信じた。
ではどうしてオスカルはアンドレをそれほどに信頼したのか。それはまた別で語ります。長いですがw
夢の結晶
久々のアニばら語りとお返事
劇場版の公開も決まり、なにかと活気付いているベルばらジャンル。あらためて、昭和テレビ版についてツイッターで語りました。それをぼちぼちこちらに移していきます。
言いたいことは作品でいう。ずっとこのスタンスでしたしそれは変わらないんですが。時々は自分の意見感想をダイレクトに言っておくほうがいいかなと思いました。
まあそんなこんなの老年の主張w ご一読いただければ幸い。
以下お返事
6月11日;完結編のお知らせ;完結するする詐欺で数年(笑 ようやくほんとに書き上がりました。本で出すので発表はもう少し先ですが、読んでもらえたら嬉しいです。
6月16日;世界が・・28;私も書き上がって安心感より虚脱感が先に来ました。終わらないと寿命で死ねないw もうちょっと先までお付き合いください。
6月16日;世界が・・28;エピローグ、あれも今度の本に入れます。若干改訂しています。あそこに辿り着いて、私が一番ほっとしている。
6月16日;世界が・・28;年内には本を出す予定です。夏に出せればよかったんですけど、ちょっと体力集中力不足。いましばらくお待ちください。
6月19日;世界が・・25:読み手の方にこのシーンが好きとかセリフが良かったとか言ってもらえるのすごく嬉しいです。意外なところが出たりすると嬉しい驚きだったり。そのうちアンケートでも取ろうかな。
6月22日;完結編のお知らせ;本当に、本当に!ありがとうございます。私も感想送るの苦手で怯んだりしますが、それを押していただけるのはただ嬉しいです。この話ももう少し続くので、お付き合いください。
6月28日;感覚;二十年ですか?そんなに長い年月読んでいただいて、本当嬉しいです。途中何度も挫けそうになりましたが、それでも読んでくれる人いるかもしれないし、で続けてこられました。ありがとうございます。
7月1日;感覚;このふたりを描くとセクシーにならざるを得ないという。やはりキャラの魅力だと思います。
7月3日;世界が・・28;私のベースが昭和アニばらなので、そこかしこに出てると思います。アニばらを語ると語り尽くせない(だから語ると長くなる)
7月6日;愛を知る日;完結・・しました(私のパソコンの中で)ブラッシュアップしてから本にして、一定期間置いてからネットにも出します。お付き合いいただいてありがとうございます。
7月14日;ミノタウルス5;フェルゼンは弱くて脆くて愚かだけれど、そこが魅力的なんですよね。こういう男性は書いていて楽しかったです、ありがとうございます。
7月15日;世界が・・29:私もここで切るんかい!って思いました笑。狙った反応があってとても嬉しい。この先はもうちょっとお待ちください。
7月16日;恋歌;オスカルが歌うって想像しにくいですが、低く静かな、綺麗な歌だったんじゃないかと思います。
7月17日;世界が・・29;私は絵が描けないので、浮かんだ情景をひたすら文字に落とし込むしかないんです。描ければ早いのにって毎回泣いている笑 浮かんで見えたら嬉しいです。
7月22日;フーガ2;全編アニメベース、書いていてすごく楽しく発見もありました。読んでくださってありがとうございます。
7月25日;フーガ;熱い感想ありがとうございます。オスカルの内面を描くのは難しいけれど、だからこそ描く甲斐があります。
事務処理能力がザルすぎるので、もし見落としていたらすみません。いつもすごく励みになっています。凹んだ時たまに読み返したり。訪問拍手もありがとうございます。
明日も更新します。またご訪問ください。
アニばら語り 原作とアニメの違い
ベルばら原作とアニメの最大の違い。それは作られた時代背景の差だと思っています。
原作72〜73年
アニメ79〜80年
たかだか6年ですが、この差は大きい。
そしてオスカルの最期の描写。
原作「フランス万歳」
アニメ「アデュー」
この温度差。それは当時の若年青年層の熱気の差でもあります。
原作連載当時の若者達の熱気と狂乱は令和の今想像しにくいですが、凄まじかったようです。才能ある若いクリエイターとして、原作者は時代の空気を敏感に感じたでしょうし。オセローをコミカライズするなど歴史に興味があるなら、合体せたのは必然とも言えます。そして作品は革命を美しく描いていました。
ただし実際の学生運動は当然美しいものではなく、凄惨な闘争で大勢の若い人が亡くなりました。それは連載時、72年のあさま山荘事件等で明らかになっています。それでもオスカルは「フランス万歳」で死ぬ。当時の原作者が何故この最期にしたのか。理想に身を投じたことが美しいとしたのか、まだ革命の理想は生きていると感じていたのか。解釈はできますが、わかりません。
その6年後のアニメ。原作者と後半監督は4歳違いの同年代。当然連載当時の時代感も知っています。しかしこの間の空気はおよそ違っていました。学生闘争の凄惨さが明らかになり、次世代は政治や社会に冷淡に無関心になります。理想は泥に塗れました。
監督も既に青年ではありません。その時代その年齢で、数年前の狂乱を見返した時。強烈な敗北感があったのではと思います。なぜ理想が暴力に塗れ自壊していったのか。時代を生きた者として、苦い思いはあったでしょう。
だから革命の美しさを讃えた話はそのまま描けない、戦った者達は果実を取れない。だから「さようなら」
アニばらのキャラ達は皆、果実を取れなかった人達です。アニメのオスカルは自分が果実を取れないことをおそらく知っていましたし、アンドレも同じだと思います。義憤や利他や、まして理想ではなく。その時代に眼を開けて生まれた者として、己が道を選んだオスカル。そしてそのように逃げずに生きる彼女だからこそ、アンドレはそばに居続けました。
ここで再確認しておきたいんですが。「原作もアニメも、歴史を背景にした骨太なドラマである」ということです。恋愛は重要素ではありますが、副次的です。
両作品とも普遍的なテーマと時代性を見事に融合させています。原作もアニメも恋愛漫画ではなく歴史ドラマとして捉えなければ、キャラクターの背景、表現されている時代性、作り手のスタンスその他、見落とすものが多いと思いますし、それは作品にとって非常に残念なことです。
アニばら語り アンドレの最期
何かと物議のアンドレの最期。私はアリだと思ってます、アリ寄りのアリ、むしろ全肯定!なぜならば、庇って死なれるのはオスカルが辛すぎるからです。
勿論死別の慟哭は限りなく深いけど、それ以上の重荷なんてこの波乱の人生の女性に負わせたくない。アンドレも死にたかったはずはない。絶対にオスカルの死は見たくなかっただろうけど、それはオスカルも同じ。
そして事実上の内戦状態で兵士が死ぬ。それは全く美しい行為でも情景でもないんです。あの時傷ついた兵士も死んだ兵士もいて、アンドレはその中の一人だった。流れ弾だろうが庇おうが死の事実に変わりない、一人の兵士の死。そういうアンドレの最期だったと思います。
流れ弾だから無駄死に、庇ったから美しく賞賛される死。
アンドレの人生の価値はそのようなもので毀損される程度ですか?アンドレが人生かけてオスカルを愛したことは、流れ弾で無駄になりましたか?
私は死に優劣や価値をつける考え方が好きではありません。それが残された者の慰めであったとしても、人生は生が決めるものです。
フーガ 3
フーガ 2
今日からの更新について
今日から何回かに分けて更新する話は、F←O←A の物語です。今までのFOのようにAのいない世界線ではありません。またアニメ版の20〜28話あたりを下敷きにしています。
以上!それでOKな方だけどうぞ!
【 フーガ 】