薔薇の木陰

誰かを見つめることが苦しいと知ったのは九歳の夏。その感情に名前がついていることはまだ知らなかった。

「お嬢様を探してきておくれ、お庭にいらっしゃるはずなのに見つからないんだよ」
お前なら見つけられるはずだから。おばあちゃんにそう言われて、僕は厩舎の手伝いを中断し庭に向かう。

オスカルは偶にこんないたずらをする。隠れているだけ、でも決して見つからない。その方法を教えたのは僕だ。誰にでも出来るわけじゃないけれど、ちょっとしたコツがある。オスカルはすぐにのみこんだ。
それから、少し一人になりたいとか、風が心地よくて休んでいたいとか。そんな時は隠れている。上のお嬢様方やおばあちゃんや侍女達が幾ら探しても駄目だった。そして最後には僕が呼ばれる。
――お前に見つからなかったら完璧なのに、どうしてお前は見つけてしまうんだ?
少し怒ったように聞かれるが、判ってしまうのだから仕方ない。今日はあまり暑くなくて、風が涼しい。こんな日はきっと。

やっぱりいた。小さな泉のそば、低い茨の茂みの陰だ。といっても、大人が覗き込めばすぐわかってしまうような場所。
――どんなところでもいいんだよ。空が見えているともっといい。空を見上げて、鳥の声や風の音をずっと聴いていて・・目を閉じる。
――それだけ?
――村にいるとき、僕は誰にも見つかったことが無いんだ。でも一度だけ僕を見つけたのは・・

低い薔薇の木の小さな木陰の中で横たわり、オスカルは眠っていた。風が白い一重の薔薇と、肩まで伸びた金髪を揺らしていた。少し曲げられた細い指先の爪は桜色だ。そういえば、こんなにじっと見つめたことはなかったかもしれない。

起こしたほうがいい。おばあちゃんが探してる。夏とはいえ風邪を引いてしまうかも。そう思ったけど声が出なかった。

尾の白い小さな鳥が飛んできて、花を啄ばみ始めた。枝が揺れるたびに、オスカルの顔に落ちている影が揺らめく。赤い口元が緩んで、笑っているような表情になった。夢を見ているんだろうか・・暖かくて、幸せな夢を。
心臓の奥を、ぎゅっと掴まれたような気がした。日差しが暖かくて、鳥が高く細い声で鳴きながら飛び立っていって・・夏の午後に僕は泣きたくなった。ずっとこのまま見つめていたい。でももうすぐ目を覚ますだろう。この瞬間だけだ。見つめていられるのは。今この時だけ---

風が少し強くなった。さらさらと葉が揺れて、オスカルがゆっくり眼を開けた。

「どうしてお前だけ見つけられるんだろう」
「・・あのさ、オスカル」
「うん?」
「一度だけ、眠ってしまって帰らない僕を探しに来たかあさんに見つかったことがあるんだ。どうして判ったのか聞いたけど、笑って答えてくれなかった」
「ふうん」
「誰か見つけられないと困るだろう。眠ってしまって、誰も来てくれなければ」
「そんなものなのかな。他の誰かよりお前が見つけてくれるならいい。さあ、行こう」
日が暮れかかっている。前を歩くオスカルの背中が紅く染まっている。僕はそれを見つめている。見つけ続けている。

苦しいけれど。多分ずっとこうやって見つめていくのだろうという、予感がした。夏の一日が終わっていった。

END