楽園の孔雀

金の孔雀、孔雀を覆う薄紫の藤。孔雀の足元を流れる水は青灰。その全てが薄い薔薇色の地色の中に閉じ込められている。

「・・美しいものですね」
「夕暮れの鳥だそうよ。母がそう言っていたわ」
「ではこれは、テレジア様から」
「東の果てに、陽の沈まない黄金の国があって・・夕焼けに染まるころ孔雀が川辺で羽を休めている。母が昔、この茶器を前にそんな話をしてくれたの」

アントワネットは茶に手をつけず、窓の外に目をやったままだった。夏の午後は不思議なほど静かで、子どもの笑い声が遠くから聞こえる以外物音もしない。夜毎の宴に人のざわめきが満ちていた日々が幻のようだ。

「父と母、兄も姉も皆が揃って夕食をとった後で、母がいろいろな話をしてくれた。母の膝に頬を埋めてその声を聞きながら、眠ってしまったこともよくあったわ・・・昔話ね。でも今でも・・眼を閉じると声が聞こえる」

こころもち顔を上げて眼を閉じ、聞こえないはずの声に耳を澄ませている王妃を、オスカルは見つめていた。出会った頃、丸みを帯びていた薔薇色の頬は、今では白くすっきりとした顎の線になり、高く結い上げられていた髪は、曲線を描いて肩に落ちている。
「母が話してくれた東の国から、幾先の山を超えて、この器は運ばれてきた。幼い私はその遠い国のことを思った。地の果て、世界の果ての国。でも私は・・その国よりもっと遠いところに来てしまった」
「仏蘭西が、ですか」
「母を亡くした時、私は故郷を失ったの。もうシェーンブルンの庭先には戻れない。私はこの国で生きていくしかなかった」
アントワネットの視線の先には、幼い弟に花を摘んでやっている少女の姿があった。王妃の横顔がふと緩んで、冷めてしまった茶を手に取った。
「でも、子ども達には此処が故郷ですもの。私はあの子達を守らなければ。母がそうしてくれたように」

「私は、王家を守るために、強くならなければならない。王のもとに作られたこの国が、王を蔑ろにすることなどあってはならない。どんな犠牲を払おうとも・・」
西からさす陽を頬の片側に浴びて、遠くを見つめる王妃の横顔に、かつての蝶のように軽やかだった少女の面影は無かった。
オスカルは知っていた。遠からず王命によって呼び寄せられた軍隊が、パリに大集結する。頻発する暴動を鎮圧し、不安定で過激さを増す議会をけん制するために。そしてそのとき・・・・。

「やり遂げるわ、必ず。私はマリア・テレジアの娘。国を愛し導いた偉大な女性。私には・・その血が流れている」
白い横顔が赤く染まっているのは、夕日の為だけではないようだった。西の空は、燃え上がる紅蓮の炎となっている。

オスカルは眩しさに目を細めた。王妃の背後を焦がしている炎の中に、やがて自分も取り込まれてしまうのだろう。歯車は動き出した。国を飲み込む大きな流れの中で、長く育んだはずの友情もまた潰えてしまうのだろうか---

オスカルが暇を告げると、王妃も立ち上がった。薄闇に包まれつつある庭を歩きながら、泉水の横で王妃はふと足を止めた。
「いつか・・何もかもが終わったら・・平和になったら。泉に孔雀を放しましょう。薄紫の花を植えて・・オスカル」
「・・はい」
「その時、貴方は私の傍にいてくれるのかしら」

オスカルは答えられなかった。王妃もオスカルの答えを待たず、ひとり煌びやかな宮殿に向かって歩いていった。
その数週間後、軍隊はパリに集結したが、治安を回復させることは出来ず大暴動が発生した。バスティーユが陥落し、革命の名を掲げた民衆の時代がやってくる。

そして、王妃が孔雀を泉に放つ日はついに無かった。

END