紅い雨

朝になっても夜の嵐の後が残っていた。だが風は弱まっていき、落葉を窓辺に散らすだけの力しかない。

光が徐々に満ちてくる部屋の中で、オスカルはまだまどろんでいた。意識のほんの一部だけが目覚めていたが、夜の名残がまだ身体中にあって、どうしても目を覚ますことができない。だが、何かの気配がした。始め、彼女はそれが何かわからなかった。だが澄んだ朝の大気の中に、ありえない香りを感じて眼を開けた。そして始めて彼女は傍らにいるべき恋人がいないことに気づいた。
半身を起こして、冷えたシーツの上を手で探り、姿を消した恋人を探して視線をまわす。するとドアが開き、彼が入ってきた。両手いっぱいの花を持って。

「・・どうして?秋なのに」
彼の上半身を覆い尽くすほどの、紅い薔薇。朝の露を浴び、咲き誇り、その香りはむせ返るほどだ。
「改良された品種だそうだ・・秋でも冬でも、人は薔薇を求めるから」
彼はそう言って、シーツを肩までかけただけの恋人のうえに、一輪づつ落としていった。白いシーツの上に点々と落とされた紅い花。彼女が呆然と見つめていると、いつの間に持ってきたものか、寝台の傍らに大きな籠が幾つか置かれている。そこには匂い立つ真紅の花の花弁がいっぱいに入っていた。

先程感じた香りはこれだったのか・・そう彼女が思う間もなく、恋人が頭上から雨の様に花びらを降らせた。
「・・・・あ・・」
天蓋から降ってくる紅い雨。裸の肌に露を含んだ花びらが吸い付く。その露の冷たさとむせる香りで彼女は何も考えられなくなった。籠の中身が残り少なくなると、彼は思いきり腕を振り、花を部屋中に散らした。

―――薔薇色の帳
彼は魔法のように、次から次へと花を地上に撒いていく。乳白のシーツがかけられていた寝台はもう朱に埋もれていた。見るもの全てが紅い。
――これは一体何だ?この息もできないほどの香りは、一面の紅い花は。彼の顔が、紅い雨の向こうになって見えない――
だがようやく最後の一片になった。彼は籠の底のそのビロードをつまむと、口元に持っていき、ゆっくりと食んだ。そして彼女の上に屈みこみ、口中の物をキスとともに相手の口に移す。
「・・甘いか?」
「いや・・苦い」
彼はその答えを聞いて微笑むと、彼女の耳元に唇を近づけ囁いた。
彼の身体が重ねられると、芳香はなおいっそう強くなった。二人が動くたびに、花は紅い波となって、朝を染める。陽が高くなれば萎れ、消えてしまうであろう束の間の香り。しかし今は、ただ包まれているだけでよかった。重なった身体の熱であたためられた、その香こそが真実なのだから。

 

――わが薔薇よ、きみがいなければ、私はこの広い世界を無と呼ぶ。この世ではきみが私のすべてなのだ――シェイクスピア

 

END