連作ー朧月

お前に会いたい

もう月が中空に昇っている。館は寝静まっている。でも私は眠れない。冷えた絹のシーツを握り締めたまま、お前の元に行きたくて、行きたくて、胸を抑える。

今日の昼、主治医のところへ話をしにいった。自身、思っていたとおりの答えが返ってきた。何もせず、地方の領地で静かに暮らし、神の加護を待つ。でなければ・・半年。
予期していたからか、思っていたより動揺しなかった。ただ、医師の部屋の窓に反射する木漏れ日が眩しかった。光を含む木々の緑が深かった。私は来年、この光景は見られない。次の薔薇は見られない。不思議なほど平穏にそんなことを考えていた。

ただ、医者の次の一言は・・全くの何の予想もしていなかった。気づくと私は、川べりに馬をとめ、水の流れをぼんやりと眺めていた。

---アンドレ・グランディエが失明するのは時間の問題です

言葉の意味を理解するのに時間がかかった。左目は私が潰した。だが、残った右は無事なはずだった。俺にはまだ右目がある、なんでも見える、何も失っていない。そう私の背中に語った彼の・・アンドレの目が見えない?私すら見えない?

私は部屋から飛び出したかった。屋根裏に近い、空のよく見える彼の部屋へ駆け込んで、問いただしたい。お前の目には何も見えていないのか。月の光も、木々の緑も。今を盛りに咲く薔薇の花。空の青。そして、私が・・私も見えていないのかと。 だが、私がそれを彼に聞くのか?彼の眼をつぶした私が。その権利があるのか。お前に会いたいという、胸を裂かれるこの想い。その資格が私にあると。
愛されていることは知っていた。だが私は他の男性を愛していた。愛を返すこともせず、犠牲だけを強いてきたのに。でも・・・。

会いたい、今すぐ会いたいんだ。お前を抱きしめたい、抱きしめられたい。鼓動を感じて、腕の暖かさの中で。今まで、あって当然だと思っていたもの。失うことなど一度も考えたことは無かった。失うと、思うことすら怖かった。

私は部屋の重い扉を開けていた。廊下は暗く、途切れ途切れの月の光でようやく輪郭が見えるほどだった。足音を立てず、飛ぶように軽く、私は彼の部屋まで駆け上がる。
彼の部屋の前で立ち、荒い息を沈める。彼は眠っているだろうか。なにも言わずノックをして、彼がドアを開ける。立ち尽くす私を見て、彼が・・・名前を呼んでくれたら。殆ど暗闇のこの中で、私の姿が見えたなら。
扉を叩く小さな音。二度、三度。返事は無い。眠っているのか。それとも・・・それとも。もう一度ノックする、ほんの少しだけ強く。

「・・・誰?」
彼の声だ。だが私は答えない。扉を叩く、ゆっくり、二度。足音が近づく。
「誰なんだ、こんな時間に」
扉が開いて、浮かび上がる背の高い黒い影。11歳のとき追い抜かれてから、彼はいつも私より背が高かった。私は彼を見上げている、泣きながら。

「オスカル、どうした。何があった」
私は答えず彼にしがみついた。彼は見えている。私がわかる!
「・・・オスカル」
彼は私の名前を呼びながら、躊躇いがちに髪を撫でている。私は腕に力をこめた。彼を、この存在を、この暖かさを。離したくない失いたくは無い。決して、もう二度と、この腕の中から出たくない。

「どうした、何を泣くんだ」
心配げな、優しい彼の声。出会ったときから、ずっと昔から変わっていない。
「・・・月の光が頼りなくて、不安になったんだ。急に、お前が傷ついて倒れていた日のことを思い出した」
お前と離れるのが辛い、怖い。二度と離さないでほしい。そう伝えたいのに素直な言葉が出なかった。
「大丈夫だ、大丈夫だよ。オスカル、俺の怪我は癒えた。何処へも行かない。それに月も・・こんなに明るいじゃないか。何も心配はないよ」

---アンドレ

今日は風が強い。雲の流れが速い。もう月は隠れてしまった。外は闇夜だ。星すら見えていないんだ。でも私は何も言えない。愛しているとも告げられない。これは私の罪だ。
「・・・もう少し、もう少しだけ、このままでいさせてくれ」
今だけ、お前の傍にいさせてほしい。もう一度、雲が切れて月が出るまで。お前の言葉が真実になるまで。

風が窓を揺らしている。もうすぐ、朧な月が顔を出す。
私の姿が彼に見えるよう、私は祈る。闇夜の中で。

 

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