雨は嫌いじゃない。むしろ好きだ。窓ガラスを流れる水滴を見ているのも、遠乗りにでかけるはずが所在なく部屋に籠っているのも。そしてお前が横にいて、手すさびのようにヴァイオリンを弾きながらお前の横顔を見ているのも。

雨が降らなければこんな風に、二人で、沈黙の音だけを頼りに物思いにふけったりできなかった。

ワインの入ったグラスを取ろうとして、手の甲に薄い痕が残っていることに気づく。ヴァイオリンの弦を絞りすぎて切ってしまった、その痕跡。彼が私の手を取っていたその熱の痕。彼の指は熱かった、そして震えていた。揺れて震え、迷っていたのは私も同じだったが。何かを伝えたいのに、言っておきたいのに、言葉にできなかったあの時。

雨が強くなる、窓枠が鳴っている。木の枝が窓を叩く音に、お前が緩慢に立ち上がる。 立ち去ろうとするお前を、思わず押しとどめる。

---待って

その声にお互いが驚く。お前の腕を掴んだ手が震える。私は怯えているのだろうか、私は何を言いたいのだろう。伝えたい、言葉にしたい今この気持ちをどうしても。

しかし私は沈黙する、あの日のお前のように、手を震わせたまま何も言えないでいる。お前は私の腕をそっと離す、触れれば壊れる月影のように。俯いてしまった私をお前が見つめているのが判る、眼を上げれば、お前のただひとつの瞳を見返せば、言葉にしない何かが判るだろう。私はそれが・・怖い。

おやすみ、と囁く彼の言葉が雨音に混じる。扉を静かに閉める音さえ紛れて消えていく。雨の音は私の言葉、あの日切れた弦が私自身。張りつめ、切れて、音を鳴らすことなく、楽器の上で物憂げに揺れていた、あれは私だった。

私はもう一度、奏でることが出来るだろうか。もう一度・・愛の言葉を。

 

 

END