サロメ-O

目覚めたはずなのに辺りは真の闇だった。確かに太陽は登っていて、路地に面したこの部屋に、朧げな光が差し込んでくる。今は夜明けだろうか、夕暮れだろうか。しかし私には、時間も月日も意味が無くなってしまった。

彼が死ぬと告げられたから。

私は撃たれ数週間生死の淵を彷徨っていた。その間ずっと彼の名前を呼んでいた、と聞いた。彼は私の手を取って口づけ、それから行ってしまったのだ。私を死なせないために。

私は反逆者として捕らえられ、拷問と極刑が決まっている裁判とを経て断頭台へと上るはずだった。王妃の親友の将軍の娘の裏切り。王妃の傍で軍の動向を知り、軍内部で武器や砲門の配置を知りえる人間。その情報を持って革命側に走ればそれは脅威となり、王政側の恐怖を呼び起こす。

肥大した恐怖は瓦解しかかっているこの国の崩壊を加速させるだろう。人格は無いが虚ろで巨大な国家というものは、儚い人の愛情など喰らう。それは私のはずだった。

だから彼が・・宮廷に出入りが許され軍の内情を知りえた、平民故に反逆に寝返った。衛兵隊長は半ば脅されて、砲弾の盾にされたために瀕死の重傷を負っている。バスティーユ陥落の責は平民にあると。

誰も?誰一人として、そのような途方もない虚言に異を唱えなかったのか?目も見えない一人の男の、世界をすべて敵に回して芝居を打った、そのことに誰も気づかなかったと?そんな・・そんな愚かなことが。

誰かが言う、彼は貴方を死なせたくなかった。貴方の死など決して見たくはなかった。貴方を傷つけるものから守りたかった。命を投げうつことより、貴方の傍を離れることが辛かった、と。

ならば、ならば今。今ここで、お前の死を見る私は。誰かの手を振り切って走り出し、極刑の娯楽に熱狂する群衆の中でお前の名を叫び、お前の死を私の死に換えて、手を・・せめてお前の手を取って共に首を落とされることを願って。人の壁に阻まれ、名前を呼ぶ声も、怒声に紛れ届かなくとも、お前の死など見たくない私は---私が死ぬべきだったのに!何故、私を見る?私が見えている?処刑人に肩を押され、罪人の無垢な者の過去の未来の血に染まった木の台の上にいても、私を愛し私を捜し群衆の中にただひとり私を見つけ、微笑むお前の、

 

 

私は死を見る。

 

 

生れ落ちる前より深い奈落を見る。

 

 

絶望ではなく生でもなく死でもない、ただ目を閉じたお前の首。朱に染まる血で乾いたお前の髪。青褪めて白い唇に口づける、閉じた瞼が開くようにキスをする、もう決して離さないでおいて逝かないでと囁く間にも、私の胸が髪が指が染まっていく。その色は緋色から赤錆へ黒紅へと変わり、私自身も黒檀の中へ沈む。

此処にはもう何もなく、音もせず、色もなく、ただお前の首だけが浮かんでいる。虚の中にそこだけ白い。私は小さな光になって首の周りを巡る。此処にあるのはただ、愛しい男の無言の幻。私の生と死と愛と罪とが―――お前への供物。

 

私は永劫に生と死のあわいに漂う。お前の首とともに。

 

 

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