花の渦

お前はそこにいればいい。私は先に行く。

ひどいな、苦笑する俺をおいて、彼女は駆けだしていく。白い馬のたてがみが煌き、土を蹴る蹄の音が遠くなる。春の午後は晴れていて心地いい。約束した遠乗りの時間になっても、仕事が終わらなかったのは俺のミスだ。

早く行かなければ、花が終わってしまうのに。

昨日までは雨が降っていたから、花を見るなら今日しかない。そう焦る彼女を待たせた挙句、厩番から急に頼まれた馬の世話を断らなかった。私は先に行くから、お前は日が暮れてから来るがいい。
そう言われても、彼女が話していた薄紅の花が咲く木が、どこにあるか知らない。満開になったらどれほど美しいだろうか、早く一緒に行こう。そう言われていたのに。

今日しかない、今日でなきゃ駄目なんだ。知ってるだろう。

・・・ひどいのは俺の方だったな。さて、彼女の行き先を捜さなければ。最近遠乗りに行った場所の近くか。でも花の咲く木などあっただろうか。彼女が今、行くなら。そうだ、きっとあそこだ。

風が吹き渡り、空は何処までも遠く続く。晴れてはいるが雲が速い。丘の上まで駆け上がると、軽く汗をかいた馬をなだめて止まる。きっとこの先だ。二人が出会った最初の夏に行ったところ。一緒に見つけたんだ。
森の中、浅い下草を踏んでゆるく進んでいくと、ぽっかりと空いた場所がある。そこだけが、しんとして静かで鳥の声も遠い。幼い頃、走って火照った身体を草の上にあずけて、空を見た。木々の間を雲が流れていた。

もう長い間訪れていない。日々はめまぐるしく早かった。いつの間にか子どもの時間は過ぎていた。そして、今日で完全に終わる。だから彼女があれほど誘っていたのに。彼女がどれほど明日という日を待ちわびて、そして怖れているかを知っているのに。
でも変化は彼女だけじゃない、俺もなんだ。彼女が踏み出す場所へ、俺も共に行く。見て聞いて知っているはずの場所でも、入ってしまえば渦に巻き込まれる。その渦と嵐の中で、お互いの手を離さずにいられるだろうか。俺にはその力と資格があるだろうか。

考えながら、馬をゆっくり進める。目当てや目印がある訳でもないのに、そこへ行こうと思うなら辿りついている。そんな場所。

風が吹いた。花弁が舞っている。彼女は其処にいた、眠っていた。

 

 

「・・・オスカル」
初めて此処へ来たときは、花も無い小さな灌木だった木が、頭上を覆うほどに生い茂っている。細い枝の先に、群れ為すように咲く一重の花々。揺れて囁き、彼女を眠らせる。紅い口元がほころび、微かに微笑んでいる。穏やかな夢を見ているのかもしれない。子どもとしての最後の日の午後に。

彼女のかたわらにそっと腰掛け、花を見上げる。薄紅の向こうに、春の空が淡い。鳥が来て花を啄むと、白い頬にぽとりと落ちた。彼女が目覚める。金色の帳に縁どられた、空よりも青い蒼。

「・・私は、先に行くぞ」
「今度はおいて行かれはしないよ。一緒にいる、どこまでも」
彼女が笑った。俺が一緒に行くのは、この笑顔を守るため、決して曇らせないため。
「風が出てきたな・・」
二人で見上げると、枝が揺れながら花の雪を降らせていた。もうすぐ、今日という日が暮れる。

 

明日になれば、明日からもずっと、一緒にいよう。オスカル―――。

 

 

END