聖なる子ども

 

聖母マリアは、未だ聖母ではなかった。神があなたと共におられる・・そのひと言のみを頼みとして、冬の夜、苦しみながら藁に身を横たえたマリアは、怖れなかっただろうか。生まれいでようとしている愛しい子ども。その子のさだめを、苦難の道を思い、怯みはしなかっただろうか。

悩み逡巡している間も、子どもは生まれようとしている。生まれるのは子どもの意志であり、母はただ扉を開くだけなのだと。だから止めることは出来ない、子どもは生きる、自身の力によって。

痛みと苦痛に耐える夜は長い、雪は音も無く降り続く。聞こえるのはただ、己の息遣いと耳の後ろに届く雷鳴のような鼓動。この痛み苦しみが、神に背いた原罪だというならば、それを負うのは己だけでいい。生まれてくる子には何ひとつ、背負わせたくない。

ただ自由に、生きて。自身を信じて。貴方にはきっと、力がある。吹き込む風花は、満天の星。灯された小さな松明は、輝く月。貴方を待つ世界はこんなにも美しい、だから、待っているわ。私は、貴方を信じて・・待っている。

 

---そうして、私が生まれた。

千年も、数百年前の冬の夜も、きっと同じだった。母はただ、子の力を信じて待っていた。雪の降りしきる明け方に生まれ、高らかに産声を上げる子どもを。

 

また、今日も雪が降っている。その真っ白な表層に足跡をつけ、私は進む。二度と戻ることのない場所へ向かって、己の信じる道を、進む。