ピュグマリオン

「ただいま」
--遅かったな。
「誰かさんのチェスの相手が長引いた」
--珍しくお前が勝ったから。
「差しながら心ここにあらずでは、負けても仕方がないだろう」
--私はそんなに虚ろだったか?
「ああ・・」
--だがお前に負けて、一瞬目が覚めたよ。
「それが狙いだ。彷徨い出た魂をもどす」
--私の・・魂。
「少なくとも今夜、部屋には無かった。遠く離れた誰かの処へ飛んでいた」
--誰の?
「誰・・だろうね。身体はある、息づかいも感じられる。なのに心だけが目の前にない」
--私なら、私がお前の前にいるなら、決して虚ろになったりしないのに。
「・・ありがとう」
--お前だけを見て、心も身体も何処にもいかない。ずっと・・傍に。
「ずっと傍に。それは俺の望みだ。それだけが・・いやお前に嘘をついても仕方がないな。触れたい、抱きしめたい、耳元で甘い声を聞きたい」
--こんな風に
「お前の髪に触れて」
--私の息を感じて。
「ああ、そうだ。こうやって抱きしめて、お前が少し苦しそうに身じろぎする。俺は腕を緩めて」
--私から口づけするよ、お前の唇に。
「頬を指で撫でる、髪に指を絡ませてもう一度」
--キスして、私に。
「離さない」
--離れたくない。
「でも・・・これは、夢だ」
--私はここにいて、お前を愛している。
「その言葉も口づけも、目覚めれば無くなる。曙光にかき消される夢なのだろう」
--では、目覚めなければ良い。
「そうなの・・か」
--目覚めなければ、朝は来ない。永遠の夜、二人で何処までも行こう。龍の背に乗って飛んでいこう、世界の果てまで共にいよう。決して離れないから・・だから、このまま目覚めないで。
「目覚めなければ、永遠に・・」
--共にいよう、”私のアンドレ”

「・・・・俺の愛する人型、美しいお前。それは・・できない」
--何故?
「お前は”俺のオスカル”ではないんだ」
--どうして、私は此処にいるのに。
「俺のオスカルは、何よりも生きることを愛している。その彼女を愛しているから、目覚めなければならない。永遠の夜にはいられない」
--私と共にいてはくれないのか。
「愛しい人を映したお前を愛しているよ。その絹の髪を、サファイアを埋め込んだ瞳を、何よりも慈しんでいる。でも、俺は生きる」
--私は何故、人形に生まれたのだろう。お前と共にいたかった。
「俺はどうして彼女を愛してしまったのだろう。彼女も俺も、誰もが・・叶わぬ想い、答えの出ない問を問うんだ。お前だけじゃない、お前はひとりじゃない」
--愛している、アンドレ。お前だけ・・・を・・愛し・・・

 

朝の光の中で、人形は沈黙した。二度と彼に、語りかけることはなかった。彼は金色の絹糸で作られた髪をそっと撫で、立ち上がった。今日という日を生きる為に。

 

 

END