星の合図

「アンドレ・・」

声に出したことに自分で驚いていた。晩春の夜に傾けていたワインが空になり、彼はもう自室に帰ったというのに、ふと呼んでしまう。さっきまで彼が座っていた椅子はまだ暖かいだろうか。手を伸ばして背もたれに触れてみる。天鵞絨のひんやりとした手触りだけがある。

彼がいた痕跡と熱が消えてしまったことに、ひどく寂しくなる。

呼び戻すには夜は深い。グラスを地下に持って行き、侍女やばあやに挨拶をし、今は部屋に通じる階段を昇っている頃だろう。ため息をつき、立ちあがって南の棟をみる。ここから彼の姿が見えるはずもないのに。

―――――たった今、離れたばかりなのに、もう会いたい。

アンドレ・・アンドレ。声に出さずに呼ぶ私の声が聞こえるだろうか。お前の眠りを妨げたくない、お前に安らいでいて欲しい。でもそれ以上に、片時も離れずにいたい。もしこの一瞬に、またお前の命が危うくなることがあれば。お前が傷つき倒れることがあれば。その想いに耐えられない。

もう部屋に着いただろうか、窮屈な上着を脱ぎ、小さな窓から外の星あかりを見上げているだろうか。会いたい・・会いたい。今、このままお前の小さな部屋まで走っていければ。

熱くなる瞼を冷やそうとして、南の窓に頬を当てる。一番星に近い部屋の灯りが灯る。その灯が・・ゆっくり右から左に揺れている。

“これがおやすみの合図“

彼の部屋で星を眺め、そのまま寝入ってしまった幼い頃。彼の祖母から禁じられ、私たちが作った秘密の暗号。私の影が南の窓に映れば、彼が灯りを揺らす。私は彼に見えなくても、灯りに向かって手を振り、眠りについた。

おやすみ、アンドレ。今日も星が綺麗だ。いつかまた、ふたりで星を見上げながら・・・眠ろう。

 

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