世界が明日終わるとしてもー25

馬車が館へ着いた。しかし扉を開けても誰も降りないのを不審に思った従僕が中を見ると、オスカルが横たわって意識を失っている。
「誰か来てくれ、オスカル様が!」
使用人達が走り回り、医者が呼ばれる。

怪我は命に関わるものはないと医師は診断した。しかし胸の症状は看過できないほどになっている。
「将軍や奥様は?」
「旦那様は軍の指揮で殆ど居られません。奥様はオルタンス様の館に」
「そうですか、では私から手紙で知らせましょう。くれぐれも暫くは静養なされるように」
「分かりました・・」

不安げなマロングラッセが、オスカルの部屋に入ると、オスカルは身体を起こし着替えようとしていた。
「お嬢様、おやめください。まだお休みにならなくては」
「ばあや、アンドレが見つかった」
「え・・」
「だから行かせて欲しい。急がなくてはいけないんだ」
「いけません!お嬢様のお身体の方が大切です。あの子は自分で出て行ったのですから」
「そうさせたのは、私だ」
「いいえ、あの子の咎なんです。ジャルジェ家から受けたご温情を思えば、弁えるべきでした。身分は超えられるものではありません」
「ばあや・・」
オスカルは泣き崩れた老婦人の肩に優しく手を置いた。
「越えられなくとも、心は超えてしまうものなんだ。それだけは何者でも縛ることはできない。だから・・行かせておくれ」
「・・・お嬢様」
オスカルが立ちあがろうとした時、激しいノックの音がした。
「オスカル様、軍からの伝令です」

「廃兵院、なぜそこが」
「軍の情報を横流ししている者がいるようだ」
「このような折に、いったい誰だ」
「最近パリに入った軍の者ではあるまい。長くパリの状況に詳しいのは・・」
「問題は!」
一際大きい声が響き、ざわついていた軍議の場に緊張が走った。
「武器の在処が民衆に知られた以上、守らなければならない。だが信頼に足る部隊がわからないと言うことだ。故に近衛しかない」
ジャルジェ将軍の言葉に皆一瞬気圧されたが、再びざわつきはじめた。
「それでは、宮殿の警護が手薄になる」
「まさか民衆がここまでやってくると?」
「そもそも情報を流したのが、軍関係者であるとは」
保身がちらつく将校を見渡し、将軍は歯噛みした。この期に及んで・・。
「衛兵隊でよい」
沈黙したまま、成り行きを見ていた国王がほとんど呟くように言った。
「地方からの軍はパリの状況に詳しくない。近衛を分離させては万が一の事態に兵力が足らなくなる。衛兵隊全てが叛逆している訳でもあるまい」
「しかし、国王陛下」
「将軍、各部隊の配置は貴方に任せる。火種は抑えなくてはならない。国王として、臣民に銃は向けたくないのだ」
真っ直ぐ将軍を見ている国王の眼は、思いがけないほど強かった。国王が衝突を避け、武力を使いたがらないことは分かっている。
「分かりました、中隊規模で各施設にあたらせます」
話に一応の決着がついたことに安堵し、軍議は解散となった。
「兵器廠はA中隊、廃兵院はC中隊に警護させよ」
「ではB中隊は」
問うた副官に将軍は淀みなく答えた。
「B中隊は」

「A中隊は兵器廠、C中隊は廃兵院の警護にあたるとのことです」
「では我がB中隊は」
館に来た伝令は一瞬、言いよどんだ。
「・・出動命令まで待機せよ、と」
「なに?!」
その声の厳しさに、伝令は叱責されたように硬直した。
「・・わかった、すぐに隊へ戻る」
伝令が去った後、オスカルは椅子に崩れ落ち俯いて顔を覆った。
――――アンドレ

「ネッケルが?」
「どうやら、王后陛下の覚えめでたく無いらしい。声高に改革を叫ぶネッケルは、王室の破壊者に見えるんだろう。外国人の王妃は、自分の基盤が脆いことを知っているからな」
「サン・ジュスト、まさかその為にロベスピエールとネッケルを焚きつけたのか」
「ははっ、僕にそんな力があるとでも?ちょっと火を貸しただけだ。燃え上がらせたのは僕じゃない」
「それで、君は何がしたいんだ」
「言っただろう、ベルナール。君と僕の利害は一致してる。ネッケルの罷免は時間の問題だ。そうすれば・・」

「少し面倒なことになったな」
「兵の買収は進んでおりますが、情報を流したことが露見するとは」
「しかしB中隊が警護にあたっていないのは幸いだ。もうすぐ出動命令が出るだろう。武器を手に入れた平民と衝突してくれれば、王の権威に少なからず傷がつく」
「では引き続きA中隊、C中隊には」
「このまま進めろ」
「かしこまりました、オルレアン公」
「行け」

「俺たちだけ、出動待機ってことはさ」
「決まってるだろ、弾除けだよ」
「俺たちは信用されていないからな。なんせ叛逆者の集まりだ」
「民衆の真ん前で、何か起こった時の的になれってことだ」
「・・なあ」
衛兵隊でもひときわ小柄な男がおずおずと口を開いた。
「そこまでして・・守らなきゃ駄目なんだろうか」
そのか細い声に皆が一様に押しだまる。アランがその男の肩に力強い手を置いて言った。
「守るんだよ、本当に守らなきゃならないものを」

 

重い雲が月を隠す中、館に馬車が着く。風は重苦しく、従僕が明けた扉が煽られて軋んだ。将軍は物言わぬまま馬車を降り、緞帳を下ろしたままの書斎に入る。腰に下げいてた剣を卓の上に置いた。
「オスカルを呼べ」
そう命じる声は静かで、表情も変わらない。灰色の雲から雨粒が落ちてきていた。

 

 

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