六月の雨ー後編

アンドレは黙って前を睨んだまま、銃を痛いほど握りしめていた。アランが彼の視線の先を追うと、雨の中平民議員だけが立ち尽くしている。
「どうしたんだ、あれは」
僧侶貴族議員は皆議場の中に入っている。しかし他の議員達は雨の中で足止めされたままだ。指揮を任されているらしい貴族と、オスカルが言い争っているのも見えた。
「平民議員を締め出しているんだろう。力の差を見せつけるために」
「・・そういうことかよ」
言い終わらないうちに、アランはアンドレに銃を押しつけて駈けだした。
「アラン?」
「悪いな、アンドレ。俺もなんだ!」
そう言い捨ててアランは剣の柄を握り、貴族が消えた議場の向こうへ走っていく。ただならない気配を察してか、オスカルがその後を追っていく。
ーーお前もか。お前も、怒りが喉を食い破りそうになっているのか。怒りは悲鳴だ。弱く力無く逃げ場のない己の悲鳴。だがそれを爆発させては破滅する。俺は・・それをよく知っている。
アンドレも二人が消えた方へ走って行った。

雨は強くなり、探す二人の足音を消す。あのアランの言葉と表情。この怒りを解放してしまえるなら全部捨ててもいい、命さえ惜しくはない。そう思っているのだろう。だがその後にはただ後悔がある。爆発した感情で人を傷つけたことの苦しさは、結局自分に返ってくる。だからアラン、やめろ。そう思いアンドレは必死に探していた。
議場の裏の外廊に人影はなく、庇の雨樋から雨が流れ落ちている。飛沫を避けようとして振り返った時、その光景がアンドレの目に映った。壁際に重なっているふたりの人影。

ーーーあれは、誰だ?
黒髪の男が金髪の女を壁際へ押して、その唇を奪っている。女が虚しく抗うのが見える。女の驚愕と恐れの表情。
ーーーあの表情を知っている。あれは・・俺だ。
頭が割れるように痛み、視界が狭まってくる。違う、それはお前じゃない、そこにいるのはお前ではない、お前がそこにいるのは間違っている、お前がそこにいるべきではーーない!!やめろ!
彼は叫んだつもりだったが声にならなかった。代わりに腕を捻り上げて、ふたりを引き離した。力いっぱい拳を振り上げ・・・・・。

 

アランは物言わぬまま、走り去った。消えていくその影を、アンドレはずっと目で追っていた。オスカルは俯いたまま黙っている。彼は握ったままの自分の拳を見下ろした。振り上げ、アランに叩きつける寸前、止まった拳。湧き上がり爆発する寸前だった怒りは、その向かう先を失ってしまった。
ーーそうか。お前も・・俺もだったのか。怒りに任せて誰かを排斥し、叩きのめしたいと思う。それは、俺も同じだったんだ。でも、だからこそ。同じように怒りと・・愛を抱えている相手を傷つけることは、できない。
「・・オスカル」
呼びかけられたオスカルの肩がびくりと震える。アンドレがその肩に触れると、オスカルは俯いたまま彼の手を取った。濡れて冷えた身体がそこだけ次第に暖まっていく。
「・・戻ろう」
「ああ・・」

雨はやまぬまま、六月の一日は終わろうとしていた。そして冷たく熱い七月がやってくる。怒りと悲鳴と絶望の七月。そこから新しい胎動が生まれる、その夏が。

 

END

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