梨花

眠っているお前は 午後の窓に差し掛かりアカシアの葉をすり抜け反射する 陽の光のようだ

ノックの音に返事がない。音をたてぬようそっと扉を開ける。南向きの居間の窓の横で、長椅子に凭れ掛かりお前は眠っている。眠る前、弄ぶように持っていた詩集が手から滑り落ちて、床に投げ出されている。開いたまま動かない頁には恋の歌が記されていた。

--お前の姿は梨の花 雨に揺れている

「・・オスカル」
殆ど呟くように声をかける。はたしてお前は目覚めない。声をかけても眠ったままなのだから、今だけは見つめていてもいい。それは己への嘘だ。手を取ることも抱き取ることも、もとより口づけすることもない。だから見つめるだけならいい。

--お前の愛が大気を熱し 私の嘆きが雨になって落ちる

お前が誰を想い誰に焦がれていたとしても、眠るお前の夢に誰がいたとしても。今この時、見つめているのはただ俺だけ。午後の陽光は窓で揺れるだけで、塵一つ動かさない。僅かな風さえなく、アカシアが窓を叩くこともない。光はただお前の白い顔の上で煌き、その輝きが目を覚まさせるのではないかと、俺は慄く。

--春の雨のようなお前の愛 すべての花を散らし また咲かせよ

お前がため息のように小さく息を吐き、身体をわずかに動かす度、蜘蛛に捕らわれた蝶が抗うように俺ももがく。目覚めないでくれ。いま暫く、このままでいてくれ。そのためなら声を潜ませ息を止め、月光が湖の底を揺らすほどにも動かぬように、彫像になってもいい。見つめていられるなら。

--花と共に我らの愛もまた散る 名残の花弁は水面に落ちる

もうすぐ陽が傾く。長い午睡の夢からお前も目覚めるのだろう。その前に俺は此処から逃げる。お前を見つめていた熱を気取られないように。お前に知られないために。何も知らないお前は、眼を開けて思いのほか長く眠ってしまったことを訝しみながら、夢の後すら追わず立ち上がる。

--花よまた春に目覚めよ 恋する者達に香しさをとどけよ

お前は知っているだろうか。塵を動かさない陽光も、大地を熱し気流が雨を降らせることを。お前がただそこにいるだけで、愛しさに胸詰まらせる者がいることを。もうすぐお前が俺を呼ぶだろう。眠ってしまって遠乗りに行けなかった午後のことを詫びて、また晴れた日に出かけようと言うだろう。その日もまた、午睡の夢がお前を捕らえてくれたらいい。俺の望みはただ・・それだけ。

--恋は花 恋は散り また咲き乱れる

 

 

END