陽炎-3

・・鳥の声がする。薄く青い空を横切る、あの白い鳥。昔、誰かが名前を教えてくれた。誰だっただろう、あれは・・・。

「おはよう」
その声で目覚めた。
「あ・・すまない。眠ってしまっていた」
「いつもお前は私が眠っている間に行ってしまうだろう。一度空が明るくなっていく間、寝顔を見たいと思っていたんだ」
「人が悪いな。いつもは俺の役得なのに」
「望みが叶った」
そう言って彼女が微笑む。その笑みに手を伸ばし、抱き寄せキスをする。だが、急に顔が険しくなり、背中を丸めて咳き込んだ。
「・・はっ」
荒い息をする彼女の背中をさすりながら、俺は寝台横の卓にあったワインを注いだ。
次第に息が収まってきた彼女が口に含む。口の端を拭った手にはワインと血が付いている。
「もうこれは、隠さなくてもいいのだな」
「オスカル・・」
「お前に隠し事はしたくなかった。黙っていたことは・・・辛かった」
俺はそのままもう一度抱き寄せた。彼女の苦しみ、怖れ。それを代われるものではないけれど。俺の背中に回された腕に力が込められる。
「アンドレ・・私は決めた」
「そうか」
何を、とは言わない。彼女は血とワインで赤く染まった己の手を見つめている。
「これが、私の血」
その手を俺の掌に重ねた。
「そして、お前の血でもある。この国に生きる人間、全ての人の血だ。これからそれが流される。だから、私は戦わなくてはならない」

夜が開けた。白々と夏の曙光が窓から差し込む。
「戦わなくては、手に入らないものもある。今日、私は部下達に命じなくてはならない。生き延びる可能性の少ない道を。それに許しを請うつもりはない。彼らも私も、命の弾はたったひとつだ。だが」

「これは指揮官の言葉ではないから、一度しか言わない。アンドレ・・」
彼女の青い双眸に俺が映っている。
「お前は・・・私より先に、死ぬな」
「・・・誓うよ」
「必ず」
「お前が悲しむから、先にいったりしない。何処までも共にいて、見届ける」

俺たちは今日から同じ地平に立ち、同じ明日を願う。そして彼女は戦い、俺は見届ける。見つめ続けていた長い時間と同じように。

 

「アンドレ、行くぞ」
陽の光に金の髪をなびかせ歩む彼女の姿は神にも似る。月桂樹の冠を抱き太陽を纏い、剣を捧げ持つ戦いの女神。見ることの出来なかったあの絵には、そのような姿が描かれていたのだろう。
「用意は良いか」
「ああ」
振り返る表情にもう、迷いも恐れも無かった。

見上げる空は青く高い。片隅を一羽の白い鳥が横ぎる。暑い一日になるのだろう。人の生と血と熱で、陽炎たつ熱い日に。

 

END

 

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