私を離さないで

 

「それは壊れやすいんだ、薦めないね」
表通りから路地を曲がった先に、ひっそりと埋もれるようにある店。何故この古びた店で足を止め、中に入ったのかオスカルは自分でもわからなかった。店主は顔をわずかに上げただけで、何も言わない。そのまま暗がりの中を見渡した時、ふとそれが目に入った。怖れるようにそっと手を伸ばし、掌に取る。ひんやりとした石の感触が伝わった。
「これほど精巧な作りなら、壊れやすいのも頷けるが」
オスカルは手の中の球体をそっと目の前にかざしてみた。ずっしりと重い。
「黒曜石は堅牢だが割れやすい。普通は金属で覆う。象嵌に使うのは難しい。転がって落とせばそれで終わりだ」
「・・・価値あるものほど脆いのは知っている」
「どこかの職人が気まぐれに作ったんだろう。人形にでも入れるなら、もっと他の石を使う」
「この石でなければ駄目だった。この色でなければ」
様々な物がうずたかく積まれたカウンターの奧で、店主が片眉を上げた。オスカルは暗がりの中でもっと光に当てようと、玉を高くかざす。大理石の球体に嵌め込まれた黒い石が、微かに煌く。
「そんなに気に入ったなら、持っていけ。代金はいらん」
「何故」
オスカルは驚いたように店主を見返した。
「どうせ店を閉めるんだ。もうパリには見切りをつけた。ガラクタの山から出て、何処へでもいくさ」
店主は言いながら重そうに腰を上げ、軋んだ音をたてる扉を開けた。
「角のパン屋は略奪されて逃げ出した。その先の鍛冶屋は鍬じゃなく槍を作ってる。路地奥の古道具屋にふらりと入る奴はいなくなっちまった」
夕陽さす屋外を寂しそうに見ていた店主は、振り返って笑った。
「ああ、お前さんがいたな。でも最後の客だ」
店主はかたわらの棚から、天鵞絨張りの箱を取り出して、オスカルに渡した。
「これに入れていくといい。片方、空いているだろう。つい先日まで、もうひとつあったんだ」
「もうひとつ?」
箱には玉がすっぽり入る窪みがふたつ空いていた。
「ああ、そっちはサファイアだったがね。男が買っていった」
「その男は・・片目だったか」
店主は今度は両眉を上げ、首を傾げた。どうして分かった?と眼が聞いている。
「そうだった、左眼が隠れてた。自分に使うのかとも思ったが、違うな。黒い瞳だった」

 

オスカルは店を出て、長く歩いた。手の中にはずっと石の玉を握っている。冷たかった表面は体温が移り、暖かくなっていた。陽が落ち周囲が暗くなって、ようやく立ち止まる。雲間から差し込む朧月の光に玉をかざしてみた。

大理石は青白く、小さく砕いた赤い石が細い血管のように埋められている。そして球体の中央に真円の黒曜石。瞳の中央の瞳孔は、他の石を嵌めているのか、角度によってきらめきが違う。瞳孔の周囲に細い線が刻まれ、その中に微かに赤や紫の色が滲んでいる。よく見れば、刻まれた線の奥に細い色石が入っている。
石目に沿って割れやすい黒曜石に、これほどの細工が出来るものだろうか。オスカルは信じがたかった。だがその奇跡の意匠は確かに手の中にある。そして奇跡はこれひとつではない。

この奇跡の片われはきっと彼が持っている。彼が青い瞳を、私が黒曜石の眼を、互いに胸に抱いている。それを離さないで、決して失わせないで。私たちが共にいて、命のある限り。

オスカルは朧月の下をもう一度歩き出した。頼りない月光よりも、輝くものを胸に抱いて。

 

END

 

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